2004年の梅雨時、三条市や見附市を中心に降り続いた豪雨によって、新潟県内で15人が死亡した『7.13水害』が発生しました。
【堤防決壊4時間後の記者リポート(当時)】
「集中豪雨によりまして、お昼前に五十嵐川の堤防が決壊しました!!」
「現在、ヘリコプターとボートによる救助活動が…」
実はこの水害では、「自治体からの避難情報が住民に伝わらなかった」という、大きな問題があったのです。
20年の節目を迎えるにあたり、当時何があったのかを振り返ります…。
三条市は当初、「堤防決壊前に住民へ避難情報を出した」と発表していました。
しかし、当時の住民の声を聞く限りは、そうでもないようです。
「“避難勧告”は全然なし…」
「全然分からない… 寝耳に水…」
― 市の広報車は?
「来ません!」
三条市は、水害発生41日後に不手際を認めました。
【三条市 高橋一夫市長(当時)】
「結果的に十分な活動を行うことができなかった広報手段も、不断の改善に努めていかなければならないと考えています」
なんと三条市は、対象の26の自治会に避難情報を伝え忘れていたのです。
2004年の『7.13水害』当時、避難情報の伝達手段は自治会長への電話連絡が中心。
26の自治会に伝え忘れたばかりでなく、出動した広報車のアナウンスも、雨音でかき消されていたようです。
三条市のおこなった調査によりますと、この水害当時、22%の住民しか避難情報の取得ができていなかったこともわかりました。
三条市では9人が犠牲に。
避難情報が伝わっていれば、救えた命だったかも知れません。
この「7.13水害」などをきっかけに、国は翌年から、高齢者に対して早めの避難を呼びかける『避難準備情報』の運用を始めました。
避難情報はそれ以降も変わり、より分かりやすく伝え迅速な避難につなげるため、現在では“警戒レベル”という言葉を使って、5段階に整備されています。
この避難情報を「どのように住民に伝えるか」が、一番の鍵となります。
皆さんはどうやって避難情報を知りますか?
20年前に新潟県三条市を襲った7.13水害では、22%の住民にしか伝わらなかった市からの避難情報ですが、その7年後の2011年7月に再び三条市を襲った集中豪雨の際には、93%の住民が、市からの避難情報を取得していたことがわかりました。
情報の入手先は、「防災無線」・「テレビ」・「広報車」・「ラジオ」・「携帯電話」が上位を占めています。
その後も、河川改修や防災無線などのハード面の整備が進むとともに、「エリアメール」や「防災アプリ」などの“インフラ”により、より早く、より分かりやすく、避難情報を入手できるようになりました。
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