服を脱いだり、奇声をあげたりと奇抜な政見放送が批判された東京都知事選。問題はそれだけにとどまらない。自己の動画チャンネルの連呼宣伝や、性的少数者、外国人へのヘイト発言が無批判に流された。聴覚障害者らからは、手話通訳士の安全確保や情報保障を求める声明も。「選挙運動の自由」を踏まえても、度が過ぎる政見放送にどう向き合うべきか。(西田直晃、山田雄之)

◆YouTubeを宣伝、就職活動、暴言…都政との関係は?

過去最多の56人が立候補した東京都知事選の政見放送を映すテレビ

 机の上でひと騒ぎ。自身のユーチューブチャンネルを復唱。さらには「忍耐力には自信があります」と就職運動に走り、交流サイト(SNS)への連絡を呼びかけた候補者も。都知事選の政見放送では、都政に関係ないパフォーマンスが横行した。  公選法では、政見放送を「公益のため、無料で放送する」「そのまま放送しなければならない」と定める。本人の希望によって経歴だけの放送になることも。持ち時間は5分半。NHKの場合、今回は51人の演説が2回ずつ放送され、計10時間を超えた。判で押したように同じ文章を読み上げたのは、政治団体「NHKから国民を守る党」の候補者たちだ。「NHKをぶっこわーす、でおなじみ…」と語り始め、「お近くに空いている掲示板がある方はチャンス」と続け、2万5000円からポスターを貼れるとうたうウェブサイトへ誘導していた。  同団体広報は「政見放送に1人で出ても、メディアは取り上げない。(関連候補者の)24人で出れば目立てる」と説明。党本部が約3分半で読み上げられる原稿を執筆し、残りの約2分を候補者の主張に割いたという。担当者は「『NHKをぶっ壊す!』ための主張を広げるため」と話し、目的は達せられたかという問いに「はい」と答えた。

過去最多の56人が立候補した東京都知事選の政見放送を映すテレビ

 同団体に限らず、トランスジェンダーや外国人に対する差別的な言動も、結果として野放しに。候補者の一人は「『自称女性』の変態を守るNHKをぶっつぶせー」「在日韓国人、技能実習生の犯罪を報道しないNHKをぶっつぶせー」「不法移民をぶっつぶせー」などと連呼し、対立候補を「支那人の女」と侮蔑する候補者もいた。

◆無料の政見放送で、テレビCMと同等の成果…供託金は必要だが

 こうした現状について、「選挙運動の自由」になるべく干渉しないため、不適切な政見放送でも「民主主義のコスト」と捉えるべきだという意見もある。  とはいえ、すでに限度を超えたと危ぶむ専門家も。高千穂大の五野井郁夫教授(政治学)は「公選法は商品の宣伝を禁じているが、ユーチューバーやティックトッカーの場合、チャンネル登録者がもうけに直結するため、候補者そのものが商品になるという想定外の領域と言える。無料の政見放送で、テレビCMと同等の成果を供託金の没収だけで得られ、初めから当選するつもりはない。公序良俗に反しない選挙を目指す法の趣旨を逸脱している」とみる。  差別的言動を規制する必要性も説く。「公選法は、政見放送の『品位の保持』にも触れているが、自傷行為やわいせつ物の陳列が当てはまる一方、表現の自由との兼ね合いでヘイトを取り締まるのは難しい。自治体が条例を定め、各選管が判断するのが望ましい」

◆手話通訳者にもストレス?

 聴覚障害者ら有志でコミュニケーション・バリアフリーを推進するNPO法人「インフォメーションギャップバスター」(横浜市)は6日、政見放送を巡り、候補者の手話通訳への理解不足などへの懸念や、撮影時の手話通訳士の安全確保を求める声明を出した。

東京都知事選の政見放送で手話通訳の啓発などを求める声明を出したインフォメーションギャップバスターのウェブサイト

 「見るにたえない」。生まれた時から聞こえない同法人の伊藤芳浩理事長は、こう受け止めた。「候補者の具体的な政策の主張が見られず、選挙の趣旨に沿わない発言が目立った。手話通訳士が心理的ストレスを感じながら、業務に当たる状況が心苦しい」と複雑な思いを明かした。  放送中、候補者が立ち上がって画面から手話通訳士が見えなくなる場面もあった。「私たち聴覚障害者の参政権や、情報アクセス権を軽視しているように感じた。十分な情報に基づき、判断ができる環境を整えることが大切だ」と訴える。  手話通訳の有無は、候補者の判断次第なのが現状だ。東京新聞「こちら特報部」の確認では、全候補者56人のうち経歴のみ放送の5人を除き、7人が利用しなかった。伊藤さんは手話通訳の役割について「聴覚障害者が政策を理解し、投票を判断する不可欠な手段」とし、候補者らへの事前説明の徹底が必要と指摘。多様なニーズに応えるため、手話通訳と字幕の両方を提供することが望ましいとした。

◆1969年に始まった政見放送 55年後の見直し論

 政見放送やポスター掲示板の混乱を受け、「法律の見直しも含めて対応策を検討する必要がある」(自民党の梶山弘志幹事長代行)、「極めて非常識な形で行われていることは許しがたい」(公明党の北側一雄副代表)と発言が相次いだ。

東京都知事選のポスター掲示板には、政見放送を見るよう呼び掛ける内容の選挙ポスターもあった=7日、川上智世撮影

 テレビで政見放送が始まったのは1969年。公選法は、候補者や政党が「録音・録画した政見をそのまま放送しなければならない」と定めるが、品位を損なう言動を禁ずる150条の2の規定に基づき、NHKが83年に政見放送の一部を身体障害者に対する差別用語として削除した対応が裁判で争われたことはある。  90年の最高裁判決は「カット部分はテレビでの使用が許されない差別用語で公選法に違反」「放送される利益は法的に保護されていない」として候補者らの訴えを退ける一方で、「事前抑制を認めるべきではない」と補足意見を付け、放送前の削除や修正は規定に違反すると明示した。  東京都選挙管理委員会によると、今回の政見放送で放送局側が内容を規制、編集したとの報告はないという。放送内容についても「答える立場にない」(担当者)。放送を担ったNHKは取材に対し「そのまま放送することを義務づける公選法の規定に基づき、今回も実施した。全候補者に『品位の保持』などを事前に説明している」と文書で回答した。

◆ネットや投票所で見る形式に縮小しては?

 制作費は都が負担するが、これでは供託金300万円で放送枠を買っているのと同じようにみえる。麗沢大の川上和久教授(政治心理学)は「ネット時代の産物だ。政見放送で注目されれば、SNSのアクセス数が増え、供託金を上回るビジネスが成り立つ」と指摘する。「放置し続ければ、社会は『くだらない』と政治離れを加速させる」と懸念し、「公共の電波を使うのをやめ、選管のホームページや期日前投票所で見られる形式に縮小するのもやむを得ない」と話す。  一橋大大学院の只野雅人教授(憲法学)は「自由な選挙が目指される中で、公職を志す候補者たちに良識を期待するのは当たり前」として、公選法が想定しない事態が起きたとする。公費で行われる政見放送の混乱ぶりに、「来年も選挙はあるので対策は必要だが、表現内容に立ち入るのは容易ではない。放送枠の『売買』にあたる行為などから、規制を検討してはどうか」と呼びかけた。

◆デスクメモ

 全候補者の政見放送を見た。N党の候補者の中には判で押したような演説の後、悪質自転車の改善や漫画図書館の設置など独自政策をうたう人もいるが、あまりに短い。政治を日常で口にすると「思想強め」とやゆされる時代。望む都政を自分の言葉で語ることはそんなに難しいのか。(恭) 

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