能登半島地震から半年。公費による解体作業が進まない中、被災者には複雑な思いがありました。一方、迅速な再建に向けて“自費”での解体を選択する被災者がいます。浮き彫りとなった課題とは?

進まぬ公費解体 背景には住民の家や持ち物への“思い入れ”

石川県珠洲市に住む橋元 泰博さん(83)。

橋元さんは地震発生直後から自宅の隣りにある車庫で妻と避難生活を続けていた。冬はストーブ1つで暖を取り、隙間風に耐えながらの暮らしを強いられていた。

橋元 泰博さん(83)
「復興復旧なんて夢の夢。何にも手ついておらん」

そんな橋元さんが自宅近くの仮設住宅に移り住んだのは先月。新たな生活を始めた。

山本 恵里伽キャスター
「畳とかも敷いてらっしゃるんですね?」

橋元 泰博さん(83)
「ここへ入るときに1人2枚までもらえたんで。畳2枚敷いて、あそこに2人とここに1人と」

間取りは2K。ここで妻と40代の息子と3人で暮らしている。橋元さんの自宅は、先祖から受け継いだ土地に建てた築56年の一軒家。地震で柱や壁、天井は大きく壊れ、住める状態ではなくなってしまった。今年4月、倒壊家屋を自治体が代わって取り壊す「公費解体」を申請した。今月から工事が始まるという。

地震から半年が経つ中、徐々に進み始めた公費解体。だが珠洲市では申請があった4700棟あまりのうち、完了したのは、わずか350棟。石川県全体で見ても800棟あまりと、その割合は4%ほどに過ぎない。背景には、住民たちの家や持ち物への思い入れがあるという。

橋元 泰博さん(83)
「昨日ボランティアさんが来てくれて家の中にあったものを、保存しておきたいものを車庫まで運んでもらって。捨ててもいいようなものがたくさんあるんだけど、見ると惜しいからね」

山本 恵里伽キャスター
「やっぱり目の当たりにすると、残しておきたいという気持ちが出てきますもんね」

橋元 泰博さん(83)
「そうなんですね」

「涙が出てくる」自宅の解体を見つめる親子の姿

自宅の解体をそばでじっと見つめる親子がいる。

濱谷 聡志さん(57)
「何も変わってない状況が、やっと少し進むのかなって感じですかね」

18歳までこの家で暮らしていたという濱谷さん。現在は横浜で生活しているが、自宅の公費解体を見届けるため、戻ってきたという。

山本 恵里伽キャスター
「実際に自分の生まれ育った家が解体されている様子というのは、どうお感じになりますか?」

濱谷 聡志さん(57)
「元には戻らないんで。とりあえず一旦綺麗になったら、もう一度ここで何かできることがあれば、やりたいですね」

目の前で見ていた父親は。

父・俊輝さん(80)
「自分なりに築き上げたが、一瞬にして無くなって。どうしようもない。今でも喋っとると涙が出てくる」

山本 恵里伽キャスター
「この後どうされるんですか、更地にしてから?」

父・俊輝さん(80)
「プレハブみたいなのを置いてそれから考えてみる」

「『忘れられた町』になっていく…」公費解体が進まない町。自費解体という選択

最大震度7を記録した石川県志賀町。

全壊した住居は、珠洲市の三分の一以下、輪島市の七分の一以下だ。しかし、上空から見ると、屋根をブルーシートで覆っている家が数多く見られる。そのうちの一軒、富来地区の住民に、中を案内してもらった。

志賀町 富来地区 徳山 外喜男さん(74)
「シートがなかったら空です。雨がぽたぽた落ちてきて、そしてこうして流れてくる」

徳山さんの妻・すえ子さん(74)
「雨模様になったらもう本当に心配」

夫婦は雨漏りに耐えながら暮らし、仮設住宅への入居が認められるのを待っている状態だ。

徳山さんの妻・すえ子さん(74)
「半年経って、目先が見えんというか。そこまで後々のことまで考えられない。今をどうしようかと」

住宅の倒壊件数が少ないことが、かえって支援が届かない原因になっていると話す住民がいる。

志賀町 富来地区 冨山 陽一さん(47)
「ボランティアの数も減って報道にも取り上げられず、『忘れられた町』になっていくなぁという思いがしますね」

冨山さんの自宅も倒壊していないが、トイレや風呂のタイルが剥がれ落ち、床に散乱していた。壁は剥がれて、天井からの雨漏りが絶えない。柱が折れ、倒壊の危険もあるため、解体を決めたのだが…

志賀町 富来地区 冨山 陽一さん(47)
「公費解体のつもりでいたんですけど、いつになるか分からないということで。壊さないことには次を建てることが出来ないので自費解体にしました」

自費解体とは、住民が業者に解体料金を支払い、その負担分を自治体から受け取る仕組みだ。冨山さんが自費解体を選んだのは、志賀町では公費解体がわずか24棟(※6月30日現在、緊急解体を含む)と、県内でも進んでいないからだ。

「あんたがいたから本当に力になった」

住民の要望に応え、自費解体を請け負っているのが地元の建築会社だ。

川村建築 川村 英外さん
「小さい町なんで、大きい輪島・珠洲の方に、(支援が)みんな流れていく、そんな感じですかね、今は」

震災直後に、埼玉県からボランティアで町に入った佐々木夏美さん(26)。

佐々木 夏美さん(26)
「元々は全国から応援の職員が県外からいっぱい来ていたけど、その職員さんもどんどん削られていって、ボランティアセンターを開け続けることができない状況」

佐々木さんは、支援の手が薄い志賀町の現状を知り、建築会社の仕事を手伝っている。この日、解体を行うためにやってきたのは、山の斜面に建つ車庫。その上には、古い母屋がある。土砂崩れが起きると、古い母屋と車庫が、自宅になだれ込んでくるのでは…と持ち主の山さんは心配していた。

車庫を自費解体する山 峰繕さん(55)
「地盤がかなり緩くなっているので、今もそこは液状化で、歩くと沈むぐらいな感じになっているので。余震が何回かあるうちにだんだんと傾きがひどくなってきているので、本当に怖いです。梅雨までに何とかこれを潰してほしいなというのはありますね、希望は」

そこで翌日、佐々木さんは、屋根の瓦を1枚1枚、手作業で取り除く。そして、重機を使った解体作業が始まった。

車庫ほどの大きさの建物であれば、1日で解体は完了するという。解体を見守っていた母親の芳子さん(83)は…

母・山 芳子さん(83)
「ご苦労様!ありがとう!涙が出るたび乾いてしまったわ!涙いっぱい出たんだけど、そこにおって見とったんや、2階で。涙が引っ込んでしまって、カリカリになった。乾いてしまって」

母・山 芳子さん(83)
「あんた(佐々木さん)がいたから本当に力になった」

佐々木 夏美さん(26)
「そんなことないよ」

母・山 芳子さん
「うまいこと壊した。ありがたかった」

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