能登半島地震から半年 ~液状化対策について考える~

大地震のたびに新潟市で繰り返される「液状化現象」。
この対策を、わずか2年ほどで終えた自治体があります。
2018年に最大震度7を観測した「北海道胆振東部地震」の被災地・札幌市です。

札幌市清田区の里塚地区で里塚中央町内会の町内会長をしている盛田久夫さんは、当時の被害をこう振り返ります。

「マンホールが上がったんじゃなくて周りが下がったからマンホールが飛び出したような感じになっていた」
「どうなるんだろう。果たして元に戻るんだろうかと、それくらいひどかったね」

胆振東部地震では、盛り土で造成された里塚地区も震度5強の揺れに見舞われて液状化現象が発生。大量の土砂が流出し、2m以上地盤が沈下したところもあり、141世帯のうち85世帯が全半壊しました。

しかし、地震からわずか2年ほどで液状化対策は完了。
町は元の姿を取り戻しています。

【住民】
「2年で本当に元通りになった。奇跡的だと思うね、札幌市の対応は」

札幌市がこだわったのは『スピード』

【札幌市危機管理局危機管理課 防災計画担当係長 佐々木将仁さん】
「5年とか10年とかたって復旧ができたところで、その方たちが帰ってくることにはなかなかならないので」
「最大限スピードにこだわって、対策復旧工事を行ってきました」

地震からわずか7日後に、1回目の住民説明会を開催。
地区のほとんどの住民が参加し、説明会は5時間を超えたそうです。

【札幌市役所 佐々木将仁さん】
「地元の方たちに、今どんなことに困っていますかということを聞きました」
【里塚中央町内会長 盛田久夫さん】
「1回目はね、市の方も全然準備ができていなかったから、みんなでガンガン文句ばっかり言ってさ…」

液状化対策工事を始めるためには住民全員の合意が必要ですが、合意形成に時間をかけないために、札幌市では住民の費用負担をゼロにしました。

【札幌市役所 佐々木将仁さん】
「理屈付けとしては、市道や公園などの『公共施設を守るために、周辺の宅地の下にも対策工事が必要になる』という方針をとり、個人の負担は取らないとした」
「被災者の方は他にもお金かかることがたくさんあるので、個人負担が過度になると合意形成に時間がかかってしまう…」

その結果、地震から3か月で住民全員の合意を得ることができ、半年後には対策工事を始められたのです。

北海道胆振東部地震の発生から4か月後に札幌市は、住民からの相談窓口を一本化するために現地事務所を開設。その担当者の1人が藤永壮毅さんでした。

【札幌市建設局土木部 市街地復旧推進担当課(当時) 藤永壮毅さん】
「皆さん本当に苦労されていたのと、もうひとつは精神的にもキツそうだった」
「少しでも何か役に立てたら、心理的不安を取り除ける要素になれればいいなと」

戸別訪問も行い、24時間体制で相談を受け付け、対策工事が終わるまでの1年半でおよそ1000件の相談に対応しました。

【札幌市危機管理局危機管理課 防災計画担当係長 佐々木将仁さん】
「住民の方たちに、もう孫みたいな状態ですごくかわいがられて、関係性を築けたっていうのもすごく大きいと思います」

【里塚中央町内会長 盛田久夫さん】
「若い連中だからさ、心配だったんですよ正直言って」
「お役所仕事でもなかったし、やることなすこと、非常にちゃんとやってくれた」

対策工事を行った業者も、工事の進み具合や予定などを知らせる広報誌を作成。
およそ1年半の間、毎週住民の元へ届けました。

液状化現象の対策工事の様子について、里塚地区から離れた人でも現状を把握できるように、住民はホームページを作成し、YouTubeでの動画配信も行いました。

【札幌市 里塚中央町内会長 盛田久夫さん】
「一番はさ、やっぱり元に戻ってほしい。それもいち早くね。それは業者もそうだし、市役所の職員もそうだし、町内会の復興委員会もそうだし、被災した人もそうだと思う。思いはみんな一緒だった」

【当時の現地事務所を担当した 藤永壮毅さん】
「お金の事情だとかいろんな事情で建て替えられないと言っていた方が、建て替えられるようになったに時は非常に嬉しかった」

『行政・住民・工事関係者』の“三位一体”で取り組んだ里塚地区。
その結果、2018年の「北海道胆振東部地震」から2年後には工事が終わり、被災世帯の8割以上が、里塚地区での“再建”を果たし、空いた土地には新しい人も住み始めました。

【里塚中央町内会長 盛田久夫さん】
「果たして、本当にできるのかなって思ったけど、よくやってくれた」

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