北海道の函館少年刑務所は全国で唯一、職業訓練船を所有しています。再犯防止には、出所後の就職が鍵を握ると言われている中、人手不足の漁業への就職を目指す受刑者たちを取材しました。

「自分はまだ手が届かない」海に憧れる受刑者たち

北海道・函館市。夏の夜、函館山は“涼しさ”と“100万ドルの夜景”に惹かれた観光客で賑わう。函館湾に浮かぶ多くの漁り火。この中に1隻の特別な船が存在している事は知られていない。

日本で唯一、刑務所が所有する職業訓練船「少年北海丸」。乗組員は海の仕事に就くことを目指す受刑者たちだ。

鍵を開ける。数歩、歩いてまた鍵を開ける。その先には、一般社会から完全に隔離された世界があった。函館少年刑務所。約500人の受刑者は全員初犯。詐欺や窃盗、殺人など罪名は様々だ。

名称は“少年刑務所”だが、26歳未満の成人の受刑者が服役している。平均刑期は4年だ。

受刑者(業務上横領)
「ニュースを聞いたり、見たり、新聞を読んだり。なかなか外の情報が分からないので」

受刑者(特殊詐欺)
「(Q.ニュースは何が気になりますか?)株とかおもしろいなと思って。今いろんなところで戦争が起きちゃっているので、それによって金が上がったりとか、石油がとかいろいろあると思うので」

受刑者(詐欺)
「ウクライナの戦争が流れて、そういう人たち見ると、めちゃくちゃ本当にかわいそうで」

受刑者に科せられる刑務作業では、ウニ箱、蒲鉾の板、そして釣り針などが作られている。漁業の街・函館を象徴している。

意外だが、刑務作業品で飛ぶように売れている商品がある。“獄”シリーズと呼ばれるエプロンやバッグなどだ。他の刑務所に依頼して増産しても、売り切れが続いている。

技術教官
「ものすごく社会のほうで評価されているのは本人たちも分かっていることですので、物作りに関して手を抜いてはいけないということは、本人たちも充分、分かっている」

刑務所の専用の売店には、全国各地から数10万円単位で買い求める客もやって来る。

販売担当職員
「全て裏地がしっかりして、細かいところも丁寧に縫ってあります」

単純な刑務作業に追われる受刑者たちが憧れる1隻の船がある。

受刑者(特殊詐欺)
「倍率がやっぱり高いと聞いているので、生活態度とかもいろいろあると思うので、ちょっと自分はまだ手が届かないんじゃないかな」

受刑者(強盗致傷)
「(Q.罪名は何ですか)罪名は強盗致傷です。(少年北海丸に)憧れはありますけど」

受刑者たちが憧れるというその船は函館港の外れの埠頭に停泊していた。

職業訓練船「少年北海丸」(全長33メートル・99トン)だ。厳しい審査をパスした受刑者が全国から選ばれて1年間、刑務作業を免除され、船舶の訓練を受ける。

逃走の危険が無いか、犯罪内容が詳しく分析される。その上で、高い学習能力と協調性が求められる。

技術教官
「難しいこともあるんですけど、少しずつ教えていけば。訓練生、みんな優秀です」

コロナの影響などで、23年度の訓練生は定員15人に対して、わずか4人に制限された。実際に船を動かす前に基本的な構造や海上での法律、気象など、500時間の授業を受ける。

目標は海技士の資格だ。6級から1級までの試験だが、高いランクの資格を取れば大型船の船長も夢ではない。

教官は菅野義三法務技官。北海丸の船長だ。北海道庁の監視船で26年間、密漁の摘発にあたってきた経歴を持つ。

北海丸船長 菅野義三 法務技官
「船は住むところもお金も待遇もいい。再犯防止にとって全部充足している仕事場だと思う。日本でこういう訓練が全くないので、まさか夜に外に出られるなんて、イカ釣りできるなんてとか、夕日が見られるなんて思っていない訓練生ばかり」

訓練生は座学で徹底的に船の構造を学び、“出漁の日”を待つ。教室から見えるのは津軽海峡だ。

いよいよ出漁 受刑者の訓練船

北海丸がイカ釣り漁に出る日がやって来た。当局が神経質になるのは、受刑者の“逃走”だ。何度もボディーチェックを受けて、ようやく塀の外に出る。

刑務所から函館港の外れに繋留されている“少年北海丸”まで護送車に乗せられる。わずか20分だが、久しぶりに見る塀の外の風景だ。

訓練生
「(逮捕後)警察署の頃からずっと手錠されて、腰縄されて移動だったので、それが何もなくて普通に社会生活の環境っていうので、最初は逆に戸惑いましたね」
「(Q.外見るときょろきょろしちゃいますか)ちょっとやっぱり懐かしい感じはしますね」
「刑期がまだあるのに外に出てこられたので、違和感です」

船内で1泊するための水や食事が北海丸に積み込まれた。食事は刑務所で作られた一般の受刑者と同じ物だ。

北海丸が埠頭を離れ漁場に向かう。舵を取るのは受刑者だ。他の船に注意しながら慎重に進む。

甲板では漁の準備も始まった。

刑務官
「先にメシにするか」

“漁”の前に腹ごしらえだ。

訓練生
「船はどうしても一人で動かせるものではない。仲間でのコミュニケーション取りながら 船を動かさなければいけない。大きな船を船長含め4人で動かすので、団結感とか仲間意識はすごく芽生えましたね」

日暮れと共に“集魚灯”が点いた。いよいよ漁が始まる。

訓練生
「特に今年は海水温が高いみたいで、水温の低い深いところに今いますね」

船酔いの訓練生もいる。

訓練生
「やっぱり今日はなかなか揺れますね。ご飯食べた後とかだと、つい来ちゃうんですね」

この日初めての手応えがあったようだ。

訓練生
「スルメイカですね。(Q.どうですか気持ちは)めちゃくちゃ嬉しいです。本当にこの訓練に来られて良かった。(Q.普段の刑務作業で笑顔は?)(塀の中では)笑うと怒られますからね」

刑務官
「23センチ、だいぶでかいですね。今のペースだったら出荷まで行けそうですね」

訓練生
「不思議な気持ちじゃないですけど、(受刑者の)身分からして外に出て、ましてや海のど真ん中に出られるとは思っていなかった」
「被害者の方たち何人もいますが、なんでお前が外に出てこういう訓練を受けられるんだと思われるかもしれない」

通常、夜明けまで操業するが、この日は海が荒れて早めに引き上げる事になった。

この夜の成果は29匹。市場の競りで6800円。お金は国庫に入る。函館の街の明かりが近づく。

漁を終えた訓練生は、受刑服に着替えて北海丸に泊まる。出入り口では、“寝ずの番”が監視する。訓練生は、あくまでも受刑者なのだ。

受刑者の訓練船 その歴史とは

北海丸の維持費は年間3000万円。法務省内では予算面から廃止も検討されるが、現場では貴重な教育刑だとする声が強い。

函館少年刑務所 大月健司 所長
「職員、あるいは訓練生は、垣根を乗り越えてチームワークが必要となります。これからの人生、出所後の人生を送っていくにあたって、非常に大切なことを学ぶことができると思う」

私たちは1988年(昭和63年)、36年前にメディアで初めて北海丸を取材している。当時の函館少年刑務所は木造だ。11人の訓練生は雑居房で生活していた。

訓練船は第4代だった。当時は温暖化の影響もなく、1回の漁で100箱の大漁も珍しくなかった。

北海丸での職業訓練は、正式には昭和33年からスタートしたが、実は船自体は戦前から存在していた。

獲った魚は、戦前、戦中、戦後の食糧難時代に受刑者だけでなく、市民にも提供されていたのだ。

昭和20年代

北海丸 菅野義三 船長
「加工場もあったし、魚も獲ってきていたし。(Q.加工場は少年刑務所内にあった)刑務所に。昔の戦争、終わった頃にありました」

日本各地で操業する北海丸は行く先々で歓迎された。      

“船乗りは仲間”と言う意識からだろうか、何と受刑者が日頃は許されていない敬礼までしている。写真からは昭和の大らかな“開放処遇”の雰囲気が伝わってくる。

受刑者の訓練船 その意義とは

YouTubeなどで漁業の魅力をPRするものの、深刻な人出不足が続く遠洋漁業。船員の平均年齢は60歳に達している。

業界が北海丸に注目し、塀の中で出所後の就労セミナーを開いた。

日本かつお・まぐろ漁業協同組合 佐藤康彦 指導部長代理
「(Q.職業訓練をやっていると聞いてどうでしたか)すごい取り組みをやっていただいているなと。こちらも誰でもいいわけではなくて、船内で仲良く仲間と一緒に働ける人。しかも資格を持っている方であれば、非常に私は魅力を感じますね」

刑務所側もポスターを作り、出所後の就労支援に本腰を入れている。

募集担当官
「刑務所から出所して、地元に戻って、また同じ環境になって。でも再犯をしてしまうという者も多いですし、隔絶された船での就職先というのは、次の犯罪には手が付きづらいかなというふうに感じています」

セミナーに参加して遠洋漁業を希望する受刑者もいる。

訓練生
「今回こうやって刑務所に来て訓練を受けさせていただく中で、遠洋マグロの世界を知って、自分は絶対そっちに行きたいなと思ったので、(セミナーに出て)決めました」

訓練生は独房で生活している。自由時間も全て船舶関連の勉強にあてていた。

北海道・函館に冬が近づいていた。寒冷地の舎房は、寒さ対策で特別に2重窓だ。11月から4月までの半年間は暖房が入る。

冬の間、北海丸はドックに入り、年1回の定期検査を受ける。その間、訓練生は海を離れて座学を続けていた。

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