6月末、年齢などに関わらず挑戦をし続ける女性を応援するコンテスト「ミセスオブザイヤー」の世界大会が東京で開催され、日本代表として出場した小林桜琉姫(はるひ)さんが、総合2位にあたる「クイーン賞」を受賞しました。
「元甲子園球児」「3児の父」と、異色の経歴を持つ彼女。
大会に挑戦したきっかけや思いとは?
「もうやり切りました。世界大会っていうのをずっと夢見てきて、やりきったなという清々しい思いで、今ここにいます。素直に生きることによって全てが変わりました。」
そう話すのは、神奈川県で鍼灸師として働く小林桜琉姫(はるひ)さん、42歳。
桜琉姫さんは、6月末に東京で行われた「ミセスオブザイヤー世界大会」にブリリアント部門日本代表として出場。
ウォーキングや英語スピーチ、特技を披露するタレントショーなど様々な項目で審査が行われ、世界11か国・60人の代表の中から、総合2位にあたる「クイーン賞」を受賞する快挙を成し遂げたのです。
元々「鳥取県代表」としてジャパンファイナルに出場し、世界大会への切符を手にした桜琉姫さん。
しかし、鳥取県代表でありながら、実は生まれも育ちも神奈川県だといいます。
なぜ鳥取県代表として出場したのか…その理由を聞いていくと、桜琉姫さん︎の波乱万丈な半生が見えてきました。
小林桜琉姫さん
「私は39歳まで『男性』としてこの社会で生きてまいりました」
桜琉姫さんは元々男性。
物心ついた時には「自分は女性だ」と思っていたそうですが、家族や周りには言いだしにくい環境にあったといいます。
小林桜琉姫さん
「私は長男だったんですけど、やっぱり両親だったり祖父母だったり、家族が期待する長男としての未来を考えたときに、自分の家族を自分のわがままで悲しませたくないなっていう思いがありまして。
私は家族に大切にされていたし、私も家族のことが好きなので、家族を悲しませたらどうしようっていうのが、思いの中で一番にありました」
厳格な家庭の長男として生まれた桜琉姫さん。
女性として生きたいという自分の本当の思いを押し殺しながら日々生活し、高校時代は東京都にある野球の強豪校でレギュラーとして甲子園に出場するほどの実力の持ち主だったといいます。
坊主頭の高校球児、でも、心は女性…性に関する悩みが頭から離れることはありませんでした。
小林桜琉姫さん
「同級生や後輩たちとのじゃれ合いの中で、男子でよくある胸部をつねったりとかですね。過激な接触とかっていうのは、私はどうしてもちょっと受け入れにくくて。」
心は女性であることを隠しながら大学に進学し、卒業後は鍼灸師として働き始めた桜琉姫さん。
その過程で、人生の転機を迎えます。
小林桜琉姫さん
「私は結婚もして、子どももいるんです。」
実は、桜琉姫さんは大学生の時に付き合い始めた女性と結婚し、3人の子どもがいるのです。
小林桜琉姫さん
「男性としてだますような形で付き合うことはできないので、それでもよかったらということでお話のほうが進んで、結婚することになって。お互いに望んでいた子供が生まれて、おじいちゃんおばあちゃんに子供を見せることができた。
一通り思い描いていた家族の夢を見せてあげられたから、じゃあもうそろそろ自分自身に素直になってというよりも、自分が本当にしたかった自分の心を開放していいのかなって思って。」
39歳の時に心が女性であることを、両親や子どもたちにカミングアウト。
そして、2023年1月、米子市にあるクリニックで性別適合手術を受けたのだといいます。
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