最高裁大法廷は7月3日午後、「旧優生保護法」は憲法に違反するとして、国に賠償を命じる判決を言い渡しました。かつての優生保護法は、障害のある人などに強制的に不妊手術することを認め、およそ1万6000人が本人の同意を得ずに手術を受けたとされています。

兵庫県明石市に住む小林宝二さん、92歳。ともに裁判を闘ってきた妻の喜美子さんは、7月3日の判決を見ることなく、2022年この世を去りました。
「ひとりになってしまいました」「本当に寂しいですねぇ… まだまだ寂しい気持ちが続いています」(小林宝二さん)

ともに聴覚に障害があり、お見合いで出会った宝二さんと喜美子さん。絵に描いたようなおしどり夫婦でした。

しかし2人は笑顔の裏で、壮絶な苦しみを抱えてきました。1960年、結婚式を挙げた数か月後に喜美子さんの妊娠が判明します。2人はとても喜びましたが、宝二さんの母親が出産に反対。喜美子さんは中絶手術を受けさせられました。

母は「耳が聞こえないんだから子どもなんか育てられない」と言った

「子どもを堕ろされたことで私は激怒しました。僕たちが子どもを生んではいけないというのは、間違った考えで、ばかげていると母には言いました」「(母は)お前たちは耳が聞こえないんだから子どもなんか育てられない、生んではいけないと言いました」(小林宝二さん)

悲しみにくれた2人。それでも“また子どもをつくろう”と話し合っていましたが、その夢は叶いませんでした。

実は喜美子さんには、中絶と同時に、旧優生保護法による強制不妊手術=優生手術も行われていたのです。2人がそのことを初めて知ったのは6年前、聴覚障害者の団体の調査で知ったのでした。

”にぎやかな家庭を”夫婦の夢を奪った強制不妊手術

宝二さんと喜美子さんは同じ年に神戸地裁に提訴(1審は敗訴 2審で逆転勝訴)。そして、宝二さんはひとりで、最高裁判決を迎えることになったのです。


「私たちは騙されていたんだ、もう取り返しのつかないことをされてしまった」
「聞こえても聞こえなくても構わないと思うんです。子どもを育てることはできると思います」(小林宝二さん)

戦後の人口急増などを背景に1948年に成立した旧優生保護法には、「優生上の見地から不良な子孫の出生を防止する」とあります。

差別的な理念を掲げたこの法律によって、(母体保護法に改正される1996年までに)少なくとも約2万5千件の不妊手術、すなわち「優生手術」が行われ、うち1万6千件あまりは本人の同意がない「強制」でした。

かつて、優生手術に携わった精神科医が証言した

優生手術に携わった経験のある精神科医がMBSの取材に実名で応じました。岡田靖雄さん、93歳です。1950年代から60年代にかけ、都立病院の精神科に勤めていました。

「年に2回、医局の黒板に優生手術の対象になる人がいたら、名前を書きだせと」
「同じような知的障害の人が生まれては困ると思って、医局の黒板に、その名前を書いて」(岡田靖雄さん)

岡田さんは、中度知的障害がある女性患者が、男性患者と性的な関係を持ったと知り、その女性の名前を黒板に記入。本人の同意は得ていませんでした。実際に手術が行われる際も助手を務めたといいます。

――ためらいみたいなものはなかったですか?
「いや、ですから、日常業務のひとつだったわけですね。言ってみれば、この患者さんに電気痙攣療法をやるかどうか決めるのと同じように、日常の仕事としてやったわけです」(岡田靖雄さん)

「加担の事実をはっきりさせることが、加担の責任を取る一番の方法だと」
「証言を求められれば、這ってでも行って証言する、それが僕の息がある間は責任だと思っています」(岡田靖雄さん)

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