安倍元首相襲撃事件をきっかけに統一教会、そして今まさにパレスチナ、この数年は宗教や信仰の問題が大きく取り沙汰された。果たして“信じること”とは個人になにをもたらすのだろうか?幸福か?あるいは狂気か暴力か?そんなことを考えていたらどうも暗い気持ちになりふとチャンネルを変えると、そこには「バカヤロー」が口癖の男が一人、今日も道化を演じていた。(以下、タレントは敬称略)

私は、ビートたけしが好きだ。お笑いタレント・俳優としてお茶の間の人気者であり、その一方で世界的な映画監督。それに飽き足らず小説や評論といった顔も持つ。歌まで歌う。この得体のしれない存在は、昭和から令和に至るまで私たち日本人の心をつかんで離さない。そんな彼の、特に俳優としての仕事で私が個人的に好きなものが二つある。自身が原作も務めた映画『教祖誕生』、そしてかつてTBSで放送された単発ドラマ『イエスの方舟』だ。

よりにもよって今のご時世にこの二作?という感じだが、改めて『教祖誕生』『イエスの方舟』の二作を観返してみると、たけしのなんとも言えない表情が妙に心に訴えてくる。「振らなきゃはじまんないよ」とでも言われているような気分になった私は、柳ユーレイが沖縄に銃を買いに行くがごとく、衝動的に福岡へと向かった。ドラマでたけしが演じた千石剛賢は2001年に亡くなっていたが、妻や娘、行動を共にした「イエスの方舟」の女性たちは、今でも福岡で共同生活をしているというのだ。

ここで一度、「イエスの方舟」とは何ぞやということを説明したい。1980年、東京・国分寺市から10人の女性が突如姿を消したと報道される。彼女達を連れ去ったとされたのが、謎の集団「イエスの方舟」。その主宰者・千石剛賢(たけしが演じた)は、美しく若い女性を次々と入信させハーレムを形成していると世間を騒然とさせた。2年2か月の逃避行の末、千石が不起訴となり事件には一応の終止符が打たれる。しかし騒動の終息後、一度それぞれの家庭に返されたメンバーたち全員が千石の元へと戻り、福岡市中州で「シオンの娘」というクラブを経営しながら、そのまま45年間共同生活を維持し続けてきたのだ。

あくまで「宗教法人ではない」と語る彼女たちの正体、その歩んできた道のりを取材したいという一心で福岡へ飛んだ私だったが、騒動時の過激な報道を経験しメディアへの警戒心を育ててしまった彼女たちに、全て顔出しで取材することの許しを得るのは決して簡単なことではなかった。

映画のプロデューサーである大久保竜と何度も「シオンの娘」に通い、ひとつひとつ理解を積み上げていく。それこそ、ドラマ『イエスの方舟』の時の話も聞いた。当時まだまだTVタレントの印象が使ったビートたけしというキャスティングに彼女たちは納得しておらず、「もっと硬派な俳優さんがいい」と注文していたこと。様々なことが握り切れていない段階でドラマプロデューサーに、「見切り発車します」と断言されたこと。緑山スタジオの撮影に見学に行った際、撮影現場にそぐわないお洒落なスカートで行ってしまい服を汚したこと。そのあと落ち込んでいる彼女たちを、移動のロケバスで女優の岸田今日子が励ましてくれたこと。もう40年近く前の撮影現場での些細な出来事を、それが昨日の出来事であるかのように瑞々しく彼女たちは語る。私も普段テレビドラマの現場で働いていることもあって、そういうちょっとした会話の積み重ねが心の距離を詰めていったのかもしれない。

晴れて取材許可を得た私は、TBSに残された報道フィルムと現在の彼女たちの姿をカットバックさせることで、その生き様を『フォレスト・ガンプ』のような形で物語化できないと試みる。それが、拙作『方舟にのって~イエスの方舟45年目の真実~』である。

ちなみにたけしは『フォレスト・ガンプ』が嫌いらしい。説明が多すぎるから。北野映画における省略の美学に強く惹かれながら、拙作では彼女たちの人生と生活をナレーションとテロップでしっかり説明している。これは、世間からの誤解を生まないようにするための彼女たちへの誠意か、はたまたテレビ屋の性なのか…是非劇場で目撃していただきたい。

また、たけしが出演したドラマ『イエスの方舟』では、騒動前夜の千石の生涯と家出した女性たちと向き合う真摯な姿が描かれている。拙作ではあまり描かれていないストーリーなので、是非この名作ドラマも併せて観ていただきたい。と言ったものの、配信もなければDVDもなく、どうやらVHSリリースのみとのこと。バカヤロー!

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