廃業するクリーニング店が後を絶たない。四半世紀前は全国に16万店以上あったが、現在はその半数を割り込んでいる。自宅で取れないシミや汚れ、繊細な素材への対応で頼りにされてきた街のクリーニング店だが、何が逆風になっているのか。国も「取り巻く経営環境は厳しい」とする中で、奮闘してきた店主たちに思いを聞いた。(山田雄之)

◆毎年何千店と廃業…四半世紀で半数以下に

 「家から一番近いクリーニング屋が5月末で閉店してた」「いつも使ってるクリーニング屋さんが閉店。とても困る」。交流サイト(SNS)には廃業を知らせる投稿が相次いでいる。  厚生労働省によると、2022年度のクリーニング店数は約7万6000店。1997年度には約16万4000店あり、四半世紀で半数以下に激減した。近年は年間約3500〜4500店が廃業している。

預かっていた商品を手渡す渡辺裕さん(右)と君枝さん=東京都大田区の「渡辺クリーニング」で

 クリーニング店に何が起きてきたのか。当事者に話を聞こうと東京新聞「こちら特報部」は6月、東京都大田区のクリーニング店を訪ねた。  「開店48年を迎えた当店は、閉店することになりました」。窓ガラスに廃業を伝える紙が張られた「渡辺クリーニング」。店主の渡辺裕さん(79)と妻の君枝さん(75)は30年頼ってくれた薬剤師の女性(70)に商品を手渡した。女性が「染み抜きが上手で白衣をいつもきれいにしてくれた。本当に残念です」と伝えると、2人は深々と頭を下げた。

◆バブル期は「少し着たらクリーニングに出してもらえた」けれど

 裕さんは中学を卒業し「手に職をつけたい」と、父が営むクリーニング店に入った。見よう見まねでアイロンなどの技術を身に付け、20歳ごろに国家資格の「クリーニング師」の試験に合格した。  1976年に独立し、夫婦で営んできた。一軒ごとに預かった服を分けて洗濯機を回し、ボタンが取れそうなら無料で付け直し、落ちにくい汚れは何度も洗い直した。裕さんは「服が好きなんだよね。一点一点、大切に手仕上げしてきた」と話す。

ボタンの縫い付け(写真はイメージです)

 1990年代前半のバブル期ごろは大忙しだった。裕さんは「少し着たらクリーニングに出してもらえた」と振り返る。作業服やビジネスウエアにとどまらず、ゴルフシャツなどのレジャーウエアも預かった。朝8時〜深夜2時、日曜以外は休む間もなかった。  ただ、その後は不景気による節約志向で取り扱いが減った。衣類を巡る変化もあり、家庭で洗える服が増え、「形状記憶」タイプのシャツも普及。クールビズなど服装のカジュアル化や、低価格で大量生産・販売される「ファストファッション」も流行した。裕さんは「一着の服を長く着る意識が昔より薄れたのかな」と感じたという。

◆コロナ禍「人が全然来なかった。本当につらかった」

 深刻だったのは2020年以降の新型コロナウイルス感染拡大だ。外出自粛や在宅勤務の増加で、洗濯しにくいスーツ、カシミヤなどデリケートな素材のおしゃれ着も出されなくなった。売り上げが10万円に届かない月もあり、「そもそも人が全然来なかった。本当につらかった」と裕さん。  廃業を決めたのは、商品の包装や接客を担当する君枝さんからの「もう、ゆっくりしましょう」との言葉。互いにもう後期高齢者。裕さんは6年前にがんを患っており、長時間の立ち作業は疲れるようになった。

写真はイメージです

 開業時から使う乾燥機も動きが悪くなり、何とか使っていた。買い替えれば数百万円の出費となる。後継ぎもおらず、踏み出す気になれなかった。裕さんは「僕らも機械も満身創痍(そうい)。十分にやり切った」と笑い、君枝さんもうなずいた。

◆経営者が高齢化 70歳以上が42%

 東京都クリーニング生活衛生同業組合の担当者は「体力の限界で廃業するケースは多い」と話す。同組合に2013年度は1562店が加盟していたが、23年度は687店まで減少。脱退理由は廃業が大半とみられ、多くは70〜80代で夫婦や1人で営む店だという。  全国生活衛生営業指導センターの23年の調査によると、従業員が5人未満の事業者が全体の76%を占め、経営者の年齢は60代が21%、70歳以上が42%と高齢化が進んでいる。  経営者たちがどんどんと引退へ向かう中で、前述の衣類の変化もあり、消費者のクリーニング離れが進んでいる。総務省の調査では、2人以上世帯の洗濯代の年間支出額は1992年の1万9243円をピークに大きく減り、2020年以降は4000円台で推移している。

◆値上げは「技術の向上を図るため」

 厳しい状況の中、立ち向かっていく方策はあるのか。23年の売り上げが過去最高を更新したという大田区の「クリーニングコマツ」で手掛かりを探った。

アイロンで服を仕上げる小松裕和さん=東京都大田区の「クリーニングコマツ」で

 「ぷしゅー」。高温の蒸気が出る音がする店内をのぞくと、店主の小松裕和さん(42)が手際良くアイロン仕上げをしていた。父と祖母が63年前に創業した店に20年前に入った。父は引退し、現在は妻典子さん(47)、母博子さん(71)らと作業に当たる。  小松さんは売り上げが伸びた理由について、「近隣の複数の店が廃業したときに顧客を任せていただいたり、昨年冬に価格を引き上げさせてもらったりした」と説明した。  価格引き上げは、原油価格の高騰が続き、ハンガーや包装のビニール、ドライクリーニング溶剤の仕入れ値が上昇していることも要因だが、「取りづらい染みを抜く機材を導入したり、衣類の素材に合わせて多様な洗剤を使ったり、クリーニング技術の向上を図るための決断です」と明かす。  新たな顧客の開拓も進んでいるといい、「これが大きい」とスマートフォンを見せてくれた。画面上には、インターネット上の地図サービス「グーグルマップ」。その口コミ評価を見て、遠方から訪れる人も多いという。「防水素材のゴアテックスの取り扱いや、電子マネー決済対応が可能というホームページ情報を見て来てくれる人もいた。情報発信は重要」と語る。

◆各店の「得意分野」をネットで情報発信

 小松さんと同様の考えを持つのが、群馬県クリーニング生活衛生同業組合の茂木宏忠理事長(46)。「上州真洗(しんせん)組」の愛称で活動する同組合のホームページを21年、新選組に着想を得て大幅に刷新した。加盟店を「洗士(せんし)」と名付け、「染み抜き」「皮革製品」「靴」など得意分野をデータベース化。目的と地域を選ぶと、利用者に合う店舗を検索できるようにした。

上州真洗組のホームページ。目的と地域を選ぶと、該当する店舗が紹介される

 茂木さんは「若い人にクリーニングに親しみを感じ、その良さを知ってもらいたい」。10年前に165店あった組合の加盟店は、現在は47店。茂木さんは「『大切な服をどこに出していいのか分からない』という声をよく聞く。『クリーニング難民』が増えないよう踏ん張りたい」と語る。  厚労省は今年3月、クリーニング業の振興指針を改正。大規模企業のチェーン店展開やインターネット宅配型サービスによる競争激化、物価高なども踏まえ「取り巻く経営環境は厳しい」とした上で、「専門性や技術を生かし、仕上げなどサービスの質への認知度を高めること、衣類に関する地域の情報ステーションとしての役割を担うことも重要だ」などと呼びかける。  「渡辺クリーニング」の裕さんは今後も続ける店にエールを送る。「お客さんから直接言われる『ありがとう』は本当にうれしい。染み抜きやアイロンは職人技だと僕は思っている。未来に残してほしい」

◆デスクメモ

 正直、四半世紀で半分以下とは驚いた。家庭用洗濯機の性能アップや浴室乾燥の普及も関係しているのかなと思う。先日、ワインをこぼしたジャケットの染み抜きをしてもらおうと、近所のクリーニング店に駆け込んだ。これからも身近な場所に、腕のいい店があってほしいと願う。(北) 

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