30年前の6月27日に発生した、松本サリン事件。
8人が死亡し、およそ600人が重軽傷を負った、世界で初めて市街地で神経ガスが使われたテロ事件でした。
事件を振り返ります。


1994年、6月27日。

松本市の閑静な住宅街で事件は起きました。

現場は松本城から北に500メートルほど離れた北深志の住宅地。

オウム真理教のメンバーが、トラックを改造した噴霧車を使い、12リットルの「サリン」をまいたのです。

サリンとはナチスドイツが開発した神経ガス=化学兵器。

自然界には存在せず、わずかな量で人を死に至らせる猛毒です。

サリンによる中毒により、事件直後に7人が死亡、600人を超える住民が重軽傷を負いました。

警察は、310人体制の捜査本部を設置。

翌日、現場近くの住宅を容疑者がわからない=「被疑者不詳」のまま家宅捜索しました。

淺岡捜査一課長(当時):
「河野義行方から薬品類数点を押収しました。(容疑名は?)これは殺人でございます。殺人です」

事件の第一通報者、河野義行(こうの・よしゆき)さん。

自宅前の駐車場でサリンをまかれ、妻の澄子(すみこ)さんは重い後遺症を負い、14年間の闘病の末、亡くなりました。



河野さん自身も中毒症状で入院していましたが、疑いの目が向けられました。

当時、捜査の指揮を執った淺岡俊安(あさおか・としやす)捜査第一課長。

10年前の取材で当時の状況を語りました。

淺岡元捜査一課長:
「犯人説を主張する人はいる当然ながら。捜査員の胸にグサッとくるものがない、これが犯人だというものが」

発生から6日後の、7月3日。

事件は大きく動きます。

淺岡捜査一課長:
「サリンと推定される」

警察は、ガスの正体をサリンと推定。

サリンを作る工程や、薬品の入手経路の捜査を始めます。

薬品の捜査と並行しながら、事件発生から1か月後、河野さんの事情聴取を行いました。

この間、河野さんを容疑者扱いする報道が続きました。



一方で、薬品の捜査により、ある団体の存在が浮かび上がりました。

「オウム真理教」です。

ダミー会社を使い、サリンを作るために必要な薬品を大量に購入していたのです。

捜査を進めた結果、さらにオウム真理教の関与が濃厚となった矢先の1995年3月。

「下がって下がって」

地下鉄サリン事件が発生しました。

2つの事件はオウム真理教による犯行でした。

松本サリン事件は、代表の麻原彰晃(あさはら・しょうこう)こと、松本智津夫(まつもと・ちづお)元死刑囚の指示で行われました。

実行犯は7人で4人が死刑となりました。

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