東京都知事選が告示された。選挙権が初めて18歳以上に引き下げられた2016年の参院選から8年たつが、若い世代の間で政治への発言はタブーとされ、人と異なる意見を言うことにも慣れていない。教育や少子化など多くの課題がある中、政治や社会を語らなくて良いのか。大学生たちの姿から、重みを増す主権者教育を問う。(木原育子、岸本拓也、安藤恭子)

東京都知事選のポスター掲示場の前に立つ新妻さん

◆選挙で金もうけするなんて…

 20日、東京・築地。異例の大量立候補で届け出の手続きが長引き、予定より40分遅れで都知事選の候補者らの演説が始まった。法政大2年の新妻和樹さん(19)は「こんな影響もあるんですね」と驚いた。「選挙妨害の動画でネットの閲覧数を稼いだり、ポスターの掲示板を使って寄付金を集めたり。選挙をお金もうけに使うなんて、間違っている」と憤った。  新妻さんは福島県双葉町の出身。6歳のときに起きた東京電力福島第一原発事故に伴う放射能汚染で帰還困難区域となり、東京や福島県いわき市に避難した。家族は東電に勤めている。「福島から東京へ、電気を安定供給してきたことを誇りに思ってきたけれど、事故でがらっと変わった」

◆「思想強め、とか言われて、否定される」

 避難先では東電との関わりを隠し、賠償金をもらっているとして陰口もたたかれた。「どこにいても、自分の居場所じゃないようだった」。将来は双葉に戻って議員を目指し、町の復興や、隣人と助け合う密なコミュニティーを取り戻したいと思っている。

都知事選候補者の演説を熱心に聴く新妻さん=東京都中央区で

 だから、政治と生活はつながっていると思うけれど、友達とは政治のことをほとんど話さない。「思想強め、とか言われて、否定されるから」  この日、候補者が唱えた「教育制度の改革」が印象に残った。「終戦の日がいつか、答えられない同世代もいる。高校の勉強は暗記ばかりで、歴史、特に現代史を知らなすぎる。冷戦の構造も知っておかないと、今の社会のことだって分からないのに」と危ぶむ。

◆候補者の演説に手を振ってみたら

 同大3年の白井大也さん(20)も普段、友人と政治の話はほぼしてこなかった。「話しても盛り上がらないし、ネタ的な話じゃないと、つまらないやつだと思われる」からだ。  ただ、最近思う。「勝手に壁を作っているのかなって」。きっかけの一つはウクライナ侵攻だ。「小麦の高騰や物価高…。表向きは関連なさそうでも、掘り下げていくとつながっている。意識しないと見えてこない」と話す。

東京都知事選の第一声を分析する白井さん=東京都中野区で

 そう思って、足を運んだ都知事選の演説会場。選挙カーの上では、候補者が「徹底して若い人たちを支えたい。奨学金の負担も減らしていく」と絶叫していた。白井さんは「僕たちのことを言っている」と感じ、思わず手を振った。候補者の隣にいた政治家が気付いて、手を振り返してくれた。「目が合ったのがわかった。うれしかった」

◆民主主義の現場は教室じゃない

 演説を見終えた白井さんは、記者に言った。「政治は自分たちに関係ないって思いがちだけど、それってただのイメージ。興味もっていいのかも」  新妻さんも白井さんも、同大の白鳥浩教授(現代政治分析)のゼミ生だ。2人はこの後も都知事選の候補者の演説に耳を澄まし、中身の分析を続けるという。  白鳥教授は「民主主義の現場は教室じゃない。現場を見てもらうと、テレビや新聞で切り取られていない、まるごとの選挙のリアルを体験できる」と話し、こう懸念する。「若者が投票に行かなければ、高齢者向けの施策ばかりになる。主権者教育を実践しなければ、いつまでたっても政治に現実感を持てないままだ」

◆「コロンブス」炎上の理由を考える授業で

 19日、東京都国分寺市の東京経済大学。1年生の必修授業が行われ、人気バンド「Mrs. GREEN APPLE(ミセス・グリーン・アップル)」の騒動を取り上げた。植民地主義が連想されるなどと批判され、新曲「コロンブス」の動画公開が停止された問題だ。

「コロンブス」の動画を見る大学生たち

 少人数授業で双方向の対話を通じ、主体的に学ぶ姿勢を身に付けるのが目的。「最初の印象はどうだった?」。大久保奈弥教授が尋ねる。「楽しそうだな、と思った」「なんで炎上したのか、分からなかった」。学生が口々に話す。

◆教えられてないから人を傷つける

 「先生が特にびっくりしたのはここです。動画に出てくる類人猿が、黄色や焦げ茶色…。何を想像する?」。大久保さんが尋ねると、「世界の先住民!」と男子学生が答えた。「そう人類。黄色は私たち、アジア人ですね。白人に扮(ふん)したミセスが、焦げ茶や黄色の人に、人力車や馬の乗り方を教えている」。大久保さんが応じると、学生たちは「差別を連想させる」「文化の押しつけ。西洋化じゃない?」と読み解いた。

「コロンブス」の動画を見た感想をホワイトボードに書き込む学生たち=東京都国分寺市の東京経済大で

 大久保さんは問題をこう説いた。「歴史を知らないと、人を傷つけることがある。でも知らないのは、日本にもある植民地の負の歴史を教えられていないから。だから君たちの責任じゃなくて、国や政治の責任なんです」  授業の後、遠山亜瑚さん(18)は「差別を、ポップに表現しちゃうのは良くない。差別批判の意味があったとしても伝わらなくなる」と話した。

◆政治活動を禁じた文科省通達

 対話で教養を深めるさまに、大久保さんは「そもそも多くの学生は、高校まで自分の意見を言っちゃいけない、と教わっている」と言う。7月のリポート提出は、子育てや学費の支援など、自分が思う課題を政治家に問う「請願」の形をとるという。「生活と政治は切り離せないと、知ってもらいたいから」と話す。  なぜ若者の間で、政治や社会への発言はタブーとされてきたのか。

文部科学省

 背景には、かつて高校生の政治活動を禁じた、旧文部省の1969年の通達(69通達)がある。「18歳選挙権」を控えた2015年に廃止されたが、同時に出された通知も校内の政治活動は禁止や制限を定める。

◆「主権者教育」は行われているが

 若者の選挙への関心も、高まったとは言い切れない。前回20年の都知事選の年代別投票率によると、18歳は60.58%と、全世代平均(55.00%)を上回ったが、19歳は47.92%、20歳は45.60%と年齢が上がるにつれて低下する。21〜24歳は39.19%と年代別で最も低かった。  東京都立大の宮下与兵衛客員教授(教育学)は「学校が民主主義の実践の場になっていない」との見方を示す。多くの高校で主権者教育が行われているが、選挙の仕組みの紹介や、架空の問題に対する模擬投票などにとどまるという。

◆何かを変える「成功体験」が必要

 さらに宮下さんによると、欧米と比べ、日本の高校生は、民主的プロセスで物事を変える「成功体験」にも乏しいという。例えば、日本で校則を変えようと生徒が努力しても、学校側に提案が却下されることが多い。「意欲的な子どもほど挫折感を覚え、『どうせ変わらない』という学習性無力感につながる」

模擬投票を体験する高校生たち=2023年11月、静岡県内で

 先の文科省の通知は「現実の具体的な政治的事象」を取り扱うことを勧めているが、宮下さんは「教員は、政治活動をアンタッチャブルにした『69通達』以降の学校しか知らない。政治に触れるのが怖い、という思いがある」とみる。  しかし、若者が政治への関心を失い、選挙に行かなくなれば、民主主義の将来は危うい。宮下さんは、今回の都知事選こそ「格好の主権者教育の場になる」と説く。「現場の教員は萎縮することなく、生徒に各候補の政策を新聞などで調べさせ、その賛否をグループ討論し、実際の候補者への模擬投票をしてみてはどうか。選挙と政策について考える、実践の機会になる」と期待した。

◆デスクメモ

 過去最多の56人が立候補した都知事選。一部のポスター掲示板が性的表現に使われるなど、初日から荒れている。こんな選挙を見せられたら、若者が政治不信に陥るのも当然だ。モラルもなく選挙や政治をおもちゃにしてきた大人たちにこそ、総出で主権者教育を受けてもらいたい。(恭) 

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