路面電車が2階へ直結 巨大な橋桁が駅前の道路をまたぐ
2025年春の開業を目指して建設が進む広島駅の新たな駅ビル。
4年前に閉館した旧駅ビルの跡地に地上20階建ての駅ビルが建てられショッピングセンターやホテル、シネコンなどが入ります。新しい商業施設の名前は「minamoa(ミナモア)」と発表されています。「ミナモ(=水面)」「ミナ(=みんな)」「モア(=もっと)」という思いをこめた言葉だそうです。
新駅ビルの開業で商業施設とともに注目されているのが、路面電車が駅ビルの2階に直結するようになることです。新たに「駅前大橋ルート」が設定され地上から駅ビルの2階へ進んでいくための「巨大な橋梁」が駅前の道路をまたぐことになっています。
大変貌を遂げる広島駅に人々の期待は高まっていますが、広島駅に駅ビルが誕生した59年前も多くの市民が期待をよせる場所となっていました。
RCCに残る取材映像から当時のにぎわいの様子を見てみましょう。
初代駅ビルは1965年に開業 式典には1000人の市民がお祝いに
原爆にも耐え抜いた駅舎を建て替えて、広島駅が駅ビルの形となったのは1965(昭和40)年12月1日。開業式典には市民およそ1000人が詰めかけました。ブラスバンドの演奏のもと、大きなくす玉が割られお祝いムードがあふれています。
映像には壁面に飾られた彫刻作品を序幕する様子もありました。彫刻家の舟越保武さんが手がけた「牧歌」という作品です。2020年に駅ビルの建て替え工事に伴って廃棄されています。
展望大浴場や屋上遊園地も 駅が“楽しむ目的の場所”へと変化
多くの市民でごった返す駅ビルの構内…。
広々とした大浴場につかっている人の姿。開業当時からあった展望の大浴場です。
屋上には遊園地もありました。屋上から南側をみると、駅前大橋があり、今のエールエールA館あたりにあった「廣島百貨店」の文字を見ることもきます。
駅ビルの誕生で、駅は人やモノが行き交う場所だった駅が、そこで憩い楽しむための目的の場所へと変わっていきました。
新幹線はまだ未開通 当時の年末帰省ラッシュは駅構内にストーブ持参
東京~大阪間で新幹線が開通したのは1964年。旧駅ビルが開業した1965年にはまだ広島には新幹線は走っておらず、広島を走るようになったのは岡山~博多間が開通する10年後の1975(昭和40)年です。
こちらは開業後すぐに迎えた年末の帰省ラッシュを取材した様子です。切符を求める人で売り場はごった返しています。
切符を買い求めるためなのか、列車の出発を待っているのか、駅の構内にストーブと毛布を持ち込んで暖をとる人々の姿も…。
こちらは大阪と博多を結ぶ急行列車「つくし」に乗り込む人々の様子です。
到着した列車の窓から次々と人が飛び降りてくる様子も見られました。
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