シリーズ「現場から、」です。能登半島地震の被災地で活動する高校生アスリートは、元日に最愛の祖母を亡くしました。困難を乗り越え、亡き祖母のために前へ。新たなスタートです。

「このハウスでいま生活しています。電気は引っぱることができたので、普段の生活に近づけてはいるんですけど、ゆっくりできないというか…」

石川県珠洲市の飯田高校ウエイトリフティング部2年、橋本侑大さん。元日の地震で、最愛の祖母・みち子さん(78)を亡くしました。

飯田高校 ウエイトリフティング部 橋本侑大さん
「ショックがでかすぎて、亡くなった感じがしないというか、いまだに信じられない」

この日(1月1日)は、みち子さんの誕生日。毎年、家族でお祝いを欠かしませんでした。

「今年は何をしたいですか?」
「何をしたいかというのは…健康でいられれば一番いい」

誕生会を終えたみち子さんは、初詣に出かけたあと、新年の挨拶に訪れた親戚の家で被災。住宅の下敷きになり命を落としました。

飯田高校 ウエイトリフティング部 橋本侑大さん
「本当に何でもやる人で、スーパーおばあちゃんというか、すごく働き者」

今思えば、今年はいつもと違う正月だったと橋本さんは振り返ります。

飯田高校 ウエイトリフティング部 橋本侑大さん
「お年玉の金額がでかかったり、母がいつもお雑煮を作っているらしいんですけど、今年はおばあちゃんが朝から作っていたみたいで、LINEで『お餅何個食べる?』とか『お雑煮食べる?』とか、すごく積極的に言ってきたので、いつもと違うなと思って過ごしていました」

飯田高校 ウエイトリフティング部 浅田久美監督
「2月に入って、10日くらいたってからかな。『侑大よ、いつまでも落ち込んでいてもおばあちゃん喜ばんぞ』と声がけして、『練習そろそろ始めないか?』と言ったら『僕もそろそろ、そんなことは思っていました』くらいの感じできたので“よしっ”と思って」

いつも応援してくれていた祖母のためにも、橋本さんは再び前を向き始めました。

飯田高校 ウエイトリフティング部 橋本侑大さん
「被災してから、いろいろ支援してくれている方に応援されたので、ばあちゃんにも喜んでもらえるように頑張りたいなと思います」

頂点を目指し、高校生リフターの新たな挑戦が始まりました。

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