今春闘は、大企業の大幅賃上げに続き中小企業も全体として高い賃上げが見込まれている。デフレからの完全脱却に史上最高値の株高と、経済界には明るいムードが漂う。  だが、そんな経営者の姿を鼻白んで眺めている。30年にわたり賃金を抑制してきたことも忘れ、しかも今回の賃上げは激烈なインフレと人手不足に背中を押された、いわば僥倖(ぎょうこう)だからだ。もう賃金を渋るような経営では立ち行かないことを覚悟すべきである。  「2年連続で高い賃上げを実現したのは評価するが、翻って過去30年もの間、賃上げしなかったのはなぜなのか」  3月下旬、経団連の十倉雅和会長の会見で、こう質問した。今更過去のことを問うても詮無いが、世界的にも例がない長期にわたる賃金抑制の総括を聞いてみたかった。  十倉氏は「犯人捜しをしても…」と切り出し、人ごとのような答えを返した。この20~30年はデフレが続き、企業は設備過剰、人員過剰、借入金過剰を抱え、国内投資を控えた。経済が停滞し消費も賃金も上がらなかった―。  極め付きは「従業員の雇用確保を図るということを、労働組合も企業もやったわけです」。賃上げよりも正社員の雇用を守ることを、組合と合意のうえ行ったと強調した。  しかし、経団連は毎年の春闘で経営側の指針をつくり、「ベアは論外」などの大号令で「ベアゼロ時代」を主導したのではなかったか。  賃金抑制の歴史はこうだ。1990年代は、円高基調のために日本の賃金水準は国際的に高く、中国の台頭もあって企業は人件費削減に走る。大手企業の賃上げ率(定期昇給とベースアップ、経団連調べ)は90年の6%近くから99年は2%まで低下。  2000年代、業績が低迷した電機大手は定期昇給さえ凍結。ベアはおろか定昇まで危うくなった。  労働問題に詳しい山田久・法政大大学院教授は「この頃に企業の人件費負担は十分軽減された。しかし、何十年もコスト削減優先の経営を続け、それが日本経済の弱さにつながった」と指摘する。  つまり、賃上げは短期的には企業の負担を増すが「それによって不採算部門を整理し、成長分野へ投資する構造改革が進む。賃金を上げなかったから構造改革が遅れ、成長できなかった」というのだ。  その後、日本は「賃金も物価も上がらない」という通念が定着。安い賃金、安い物価、安い金利と、すっかり「安い国」に変貌してしまった。  今回、急激なインフレと異次元の人手不足が転機を呼んだ。転職志向の急速な高まりもあり、賃金や初任給を引き上げざるを得なくなった。  かつての「人件費はコスト」「コストは削減すべきだ」という経営はもはや通用しない。賃金に加え、教育訓練など人への投資を怠る企業は人材が集まらない。大手、中小企業を問わず、険しい時代の幕開けである。 


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