太平洋戦争末期、旧海軍の航空基地があった鹿児島県指宿市で27日、特攻隊らの慰霊追悼式が行われました。

指宿市田良浜にある指宿海軍航空基地「哀惜の碑」です。かつて旧海軍の航空基地跡地で、本土最南端の水上偵察機の基地でした。

沖縄戦が始まると、戦況の悪化を受け、水上偵察機までも特攻機として使用され、この地から82人の若者が飛び立ち、戦死したほか、アメリカ軍の爆撃で基地にいた隊員ら100人余りが命を落しました。

27日は54回目となる追悼式が行われ、遺族や関係者らおよそ50人が出席し、犠牲者に花を手向けました。

(祖母の弟が特攻で戦死した望月尚志さん)「平和を祈りながら、戦争で命を落とされた人の思いを大切にしながら、これから先、生きていくのが大事かなと思っています」

(兄が特攻で戦死した松永孝子さん)「すごく良い兄さんでした。二度と戦争があってはならないと願うばかりです」

顕彰会によりますと、終戦79年が経ち、遺族ら関係者が高齢になり、出席者は年々減っているということですが、今後も慰霊追悼式を続けていくとしています。

鄭重声明:本文の著作権は原作者に帰属します。記事の転載は情報の伝達のみを目的としており、投資の助言を構成するものではありません。もし侵害行為があれば、すぐにご連絡ください。修正または削除いたします。ありがとうございます。