東日本大震災の発生から13年。震災発生直後、私たちの取材を受けてくれた女性が13年ごしに当時の自分の映像を見つめました。今は2人の子どもの母親となった女性。何を感じたのでしょうか。
きっかけはSNSの書き込み
震災13年となった3月11日、SNSにこんな書き込みが投稿されました。
「あの日あの時実家と母をなくしてから、止まったものが自分の人生の一部にある感覚です」
母親の写真とともにつづられたメッセージ。さらに…。
「東北放送のインタビューを受けました。しかし、当時は電気が止まっていてテレビも見れず、そんな余裕もなかったので私自身そのVTRは見ていません」
震災直後に私たちの取材を受けたという書き込み。アカウント名は、仙台駅前の居酒屋のものでした。
メッセージを書き込んだ遠藤浩実さん(38)です。夫の康洋さん(42)と店を営んでいます。
遠藤浩実さん:
「ずっと頭の片隅にあの日の取材のことが残っていた。SNSに上げることで東北放送の誰かが見ていて、運が良ければその時の映像を観ることができるかなと期待を込めて投稿した」
遠藤さんの名前をもとに調べたところ、確かに2011年3月、遠藤さんは、私たちの取材を受けていました。
あの日のニュース映像とは
2011年3月20日のニュース放送から 林朝子アナウンサー:
「仙台と石巻を結ぶ高速バスがきのう運行を再開しました。乗客の中に今も消息がわからない家族を捜す女性の姿がありました」
8日ぶりに運行を再開した石巻行きのバスの取材。
取材を受けた遠藤浩実さん(当時25歳):
「実家が石巻市の雄勝町なんですけど、被災した状況は知っているんですが、母とは連絡が取れていないので探しに行きます。母一人子一人で育ててくれたので明るくて素敵なお母さんです」
取材では、母・ただ子さんを捜すため仙台から石巻市雄勝町に向かう遠藤さんに同行していました。しかし、自宅は流されただ子さんの安否はわかりません。
その後、南三陸町に向かい祖父・長太郎さんとは再会することができました。
取材を受けた遠藤浩実さん(当時25歳):
「じいちゃん!大丈夫だった?大丈夫だった?」
あれから13年…、遠藤さんの今は。
2児の母になった遠藤さん
遠藤さんは、31歳のとき康洋さんと結婚し、2人の子どもに恵まれました。長男の令凰(れお)くん(4)。次男の大鳳(たお)くんは今年1月に生まれたばかりです。
遠藤さんの母、ただ子さん(震災当時57歳)は、震災のおよそ3週間後、雄勝の自宅から5キロ離れた場所にある車の中で見つかりました。
遠藤浩実さん:
「思い出せば悲しくなるので、震災のことを自ら思い出そうとはしなくて。ふと思い出したときにちょっと心に蓋をしている」
母子家庭で一人っ子だった遠藤さん。あの日、南三陸町で再会した祖父・長太郎さんも震災発生から数年後に亡くなりました。
実家があった場所は更地に。思い出の品も流されました。
遠藤浩実さん:
「昔の自分が生まれた時の写真とか、思い出のものがないか探したけど、それすらなかった。ほとんど家のものがぐちゃぐちゃに流された」
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