長野県内にある銭湯は、2023年度末で31軒で、30年前の4分の1以下にまで減少しました。
風呂のある住宅の増加や、後継者不足などが主な要因として上げられています。
地域の憩いの場としても親しまれてきた銭湯。
6月に、また一つ、その火が消えることになりました。


塩尻市の中心部にある「桑の湯(くわのゆ)」。

市内でただ一つの銭湯です。

入浴の老人:
「最高だね、サイコー!」


レトロな雰囲気が心地よく、多くのファンに親しまれてきました。

しかし、6月末、桑の湯は一世紀近い歴史に幕を下ろします。

桑澤弘幸さん:
「古くて、すすけた鏡だけど、なるべく綺麗な状態にして、お客様を迎えたいと思って」

現在は四代目の桑澤弘幸(くわざわ・ひろゆき)さん53歳と、母親の節代(せつよ)さん80歳の2人が中心になって切り盛りしています。


桑澤弘幸さん:
「もう設備の老朽化が一番ですね。もう設備直しきれなくて、あっちも直せば、こっちも壊れるになっちゃって。あと人間の老朽化も僕と母の体力が、もうここにきて限度かなってのがありまして」

古い設備は故障しやすく、煙突を建てたのも昭和20年代です。

桑澤弘幸さん:
「雨風にさらされてますから、煙突もかなり古いものって言いますか、1週間に一節、1週間に一節って感じで、わざわざ職人さん岡谷から来てが作ったっていう話は聞いてます」
やっぱりこれを作り変えるわけにはいかないですよね?
「そうですね、僕の代では、ちょっとできなかったっていうか、無理でした。はい」

重油を燃料に使う銭湯が多い中、桑の湯は薪でお湯を沸かしています。

毎日、午前11時に窯に火を入れます。

桑澤弘幸さん:
「地味に火をつけて、ちょっとこの後、火をどんどん大きくして、間に合わせるような状態で」


昭和4年=1929年に創業した「桑の湯」。

かつて木材店を営んでいたことから、廃材の有効利用にと銭湯を始めました。

現在は、工務店から持ち込まれる解体した建物の柱などを燃料に使っています。

桑澤弘幸さん:
「金銭的な理由で、窯変えられなかったってのはあると思うんですけど、時代に取り残されたなって、ずっと思ってたんすけど、なんか今でこそ、そうやっていらないものを利用して焚くっていうのでいけば、これが今いいんじゃないかってのは思ってますね」



薪作りから窯の番までひとりで行い、休業日にも、すすの掃除や機械の手入れなど休むことなく働く弘幸さん。

近年は何度も体を壊すなど限界を感じ、廃業を決断しましたが、何より支えになってきたのがお客さんの喜ぶ顔です。

桑澤弘幸さん:
「脱衣所の空間から浴室の空間、全て『満足して来てよかった』『入れてよかった』と。満足できる温度にするのが僕の役目っていいますか、そのためにどんなことしてでも最後の日迎えるまで、営業をしっかりやっていきたいなと思ってます」

午後3時の営業開始と同時に大勢のファンが訪れます。


年配の男性:
「ここはえぇ本当に。近くでいいし、静かでいいし、湯もいいし、いいことばっかり」

常連さん:
「酒飲まなんでも風呂だけは入りたいよな」

営業日にはほぼ毎日入りに来るという常連さんです。

常連さん:
「小っちゃい頃はなぁ、子どもたちだけでお風呂来て、バシャバシャしてプールみたいに遊んでて、死んだおばあちゃんに、うんと怒られたりとかさ」
「95年経って、えらいこんだわ。無理もないと思うよ…」

この日が初めてという若いお客さんにも出会いました。

大学進学のためこの春、近くに越してきたという学生です。


大学1年生:
「散歩してるときに、すごいきれいな銭湯を見つけて入りたいなと思ってて、自分が人生で初めて来る銭湯なので、テレビとか写真とかで見る銭湯のイメージそのままだなと思って、たくさんの人が歩んだ歴史の中に自分も入っていると思って感動している」

訪れる人がそれぞれに桑の湯への思いを語ってくれました。

番台のスタッフが夕食の休憩時間になると、母の節代さんが代わりに座ります。

「ありがとうございました」


母 節代さん:
「ここへ来てたくさんお話しする人もいます。いろんな話を本当に挨拶だけの人もいますけどね。でも何となく心が通うっていう感じでいます。どうしようかなと思うくらい寂しいですね。皆さんに会えるっていうことがやっぱりね」



弘幸さんは営業時間が終わる間際まで窯の番をします。

桑澤弘幸さん:
「これで真ん中に集めて、消えるまでこのまんまです」

夜9時半、最後のお客さんを送り出して桑の湯の1日は終わりました。


桑澤弘幸さん:
「今日も安心安全だったっていうのが一番ほっとするところです。1日1日がカウントダウンといいますか、その日に向かっているわけで、ちょっとずつ寂しさはあるんだけど、この後1か月半、お客様に楽しんで、何かホカホカな気持ちになって帰っていただきたいなと思ってます」

時代の流れとともに一つひとつ灯(あかり)が消えてきたまちの銭湯。

弘幸さんは6月30日の最後の営業日まで、変わらぬ気持ちでお客さんを迎えたいと思っています。

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