島根県と広島県を結んだJR三江線、2018年3月31日のさよなら運転からこの春で丸6年となりました。
鉄橋などの撤去が進む一方で、全国的にも貴重な鉄道建築物が数多く残っていることが分かってきました。
取材班が訪ねたのは、廃線跡でのトロッコ車両運行やイベントなどに取り組む「NPO法人江の川鐡道」の森田一平さんです。
NPO法人江の川鐡道 森田一平さん
「三江線はなかなか完成できなかったからこそ、いろんな時代の技術が見られる、いろんな遺構が残っているんです。」
戦前から戦後、高度経済成長期と、完成までほぼ半世紀かかった三江線。
戦前の建設区間は短いトンネルが続き急カーブも多い一方、最後の開通区間は高規格で、列車も高速で駆け抜けていました。
NPO法人江の川鐡道 森田一平さん
「私たち江の川鐡道では、『三江線鉄道遺構図鑑』というのを作っておりまして。この本を一緒に監修をして頂きました島根県技術士会の、きょうは酒井さんをお招きしております。」
島根県技術士会鉄道遺構研究分科会旧三江線グループのリーダー、酒井雄壮さんと共に、まず邑智郡邑南町にある宇都井駅の秘密に迫ります。
「天空の駅」とも呼ばれ、谷間の高架橋が駅になっている宇都井駅、注目すべきは「橋脚」です。
中央のP5橋脚を境に、左右2つに分かれているとのことですが…
酒井さん
「こっち側の桁がこう差し込んである。」
入江直樹記者
「柱を貫く『貫構造』ですか、あんな感じになってると。」
酒井さん
「そうですね。」
橋桁の太い2本の部材がY字形にまとめられて橋脚に差し込まれているとのこと。
P5橋脚自体もスリットで3つに分かれていて、年間の気温差で鉄筋コンクリートが数センチ伸び縮みするのを吸収する仕組みになっているという工夫が凝らされているといいます。
続いて見ていくのは、邑智郡美郷町にある「第1江川橋りょう」です。
島根県技術士会鉄道遺構研究分科会旧三江線グループリーダー 酒井雄壮さん
「鉄道橋に歩道を併設すること自体はそんなに技術的に難しいことじゃないので、有効利用されていたと。」
第1江川橋りょうは、昭和47年7月豪雨で流出し、1974年に再建された鉄橋です。線路のわきに歩道があり、列車でなくても渡ることが出来た、“鉄道・人道併用橋”でした。
しかし、廃線とともに通行禁止になりました。
島根県技術士会鉄道遺構研究分科会旧三江線グループリーダー 酒井雄壮さん
「来年から撤去が始まります」
貴重な“鉄道・人道併用橋”、早めに見ておく必要がありそうです。
続いて訪れたのは、邑智郡川本町にある川本陸閘門。
陸閘門とは、堤防を切って設けられた河川への出入り口を閉鎖する門のことで、洪水の時には陸閘が閉められ堤防 としての役割を果たします。
川本陸閘門は、堤防でなくトンネルの出口にあります。
島根県技術士会鉄道遺構研究分科会旧三江線グループリーダー 酒井雄壮さん
「おそらく建設当時は、この三江線の敷地以上に水が上がることはなかった。」
河川改修によって町中心部を堤防で囲んだものの、トンネルが水の侵入口として残ったため、堤防でない所に陸閘門が出来たというわけ。
多くの陸閘門は停電でも動かせるよう軽いアルミ製ですが、ここは鉄製で、エンジンで駆動します。
酒井さん
「陸閘門自体も維持管理が必要ですから、近く撤去される予定になってるらしいですけど。」
入江直樹記者
「ちなみに何でここだけアルミじゃなくて鉄だったんですか?」
酒井さん
「それは私も分からないですね。」
入江直樹記者
「森田さん知っとられます?」
森田さん
「分かりません。ははは。アルミ高かったんじゃないですか。」
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