5月11日で、東日本大震災の発生から13年2か月です。震災の津波で25歳の長男を亡くした夫婦が津波の恐ろしさや自身の活動をまとめた絵本を出版しました。絵本には亡き長男との約束、そして夫婦の心境の変化が描かれています。

息子へ、一冊の絵本

宮城県大崎市に住む田村孝行さん・弘美さん夫婦、4月に女川町を訪れました。

慰霊のモニュメントに一冊の絵本を供えました。3月に出版した「ふしぎな光のしずく~けんたとの約束~」です。

田村弘美さん:
「ありがとうと言っているかな、女川の子どもたちにしっかりこの件を知ってもらって命守ってね」

13年前、女川の海で見つかった2人の長男・健太さん。七十七銀行の行員でした。

絵本は、健太さんの誕生から物語が始まります。

絵本に描かれた健太さんの物語

絵本の一節「一度始めたことは続ける」。親子で交わした約束通り、健太さんは、小学3年生で始めた野球を大学まで続け、故郷に貢献したいと七十七銀行への入行を決めました。

しかし、2011年3月11日、配属先の女川支店で震災の揺れに襲われます。津波襲来の描写は、何度も描き直したといいます。

田村弘美さん:
「どう表現して描いてもらったらいいか迷いました、あの日の津波の怖さを記憶にとどめてもらいたい」

高さ10メートルの支店屋上に逃げた行員たちは津波に飲み込まれ、4人が死亡、8人が行方不明のままです。

25歳だった健太さんには、結婚を約束した人がいました。

田村弘美さん(2013年取材):
「本当にこれからだった、何もかもこれからだった、私たちも悔しいが、息子は最後どんな気持ちだったか、どんなに悔しかったか」

語り部を通して大勢の人との出会い

なぜ、より安全な近くの高台に避難できなかったのか。

田村さん夫婦は女川を訪れる度、ここで何が起きたかを伝えはじめました。語り部などを通してたくさんの仲間に出会えたといいます。

絵本は、女川で出会ったシンガーソングライターの木村真紀さんたちと共に5年の年月をかけて完成させました。

絵本を一緒に作った木村真紀さん

絵本を一緒に作った木村真紀さん:
「紙芝居を作って欲しいと言われたが、どうせ作るなら絵本がいいんじゃないか。弘美さんたちが変わっていった。苦しみの中でも人は次に向かって歩いていける」
田村弘美さん:
「多くの人に支えられてきた、このつながりはすごく大きい、今になってこの活動が広がりつつある、ふしぎなつながりで生かされていると思う」

2019年からは、松島町にある弘美さんの実家に農園、「健太いのちの農園」をつくり、作物の栽培や収穫をしながら周りの人たちと交流を深めてきました。

「3人で活動をしている」

2人の気持ちに表れ始めた心境の変化。

活動を続ける中、健太さんが見守ってくれていると強く感じるようになったといいます。

田村弘美さん:
「嘆き悲しむ私たちのそばにいてくれた息子は、3人で活動をやっている」

2人の活動や心境の変化も綴られている絵本。最後には健太さんが好きだったガッツポーズのイラストを描きました。

田村弘美さん:
「健太がガッツポーズしている。息子の命をこれから未来につなげるんだという決意のページでもある。やり続ければ、あきらめなければ夢はかなう。希望に向かって一緒に歩もうとガッツポーズでしめているので。悲しい・苦しい・辛いだけでなく、頑張った先に必ずいいことがある頑張っていこうという息子のメッセージが込められている」

田村弘美さん

田村孝行さん:
「いろいろなことを考えてもらいたい、答えはひとつではなく、いろいろな答えがあると思う、絵本からいろいろなことがでてくるので読み解いて欲しい」

田村孝行さん

震災13年で出来上がった絵本は、健太さんが生きた証と、命の大切さを次の世代へと伝えていきます。

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