能登半島地震の避難中に肺炎で父を失った、石川県七尾市中島町出身の前田建治さん(55)が、自身が大将を務める金沢市の焼き肉店で被災地の応援企画を続けている。「父にちゃんとやるべきことをしろと言われると思うから」。仕事にいちずな父譲りの姿勢が、前田さんを突き動かしている。(高橋雪花)

ふるさとの復興支援企画を続ける前田建治さん=金沢市本町の「焼肉 肉割烹 万福」で

◆寡黙な父に反発、17歳で故郷を出た

 香ばしい匂いが漂う金沢市本町の焼き肉店「焼肉 肉割烹(かっぽう) 万福(まんぷく)」で、前田さんは忙しい日々を送る。能登かきのフライ、能登牛入りカレーなど、売り上げの一部を復興支援に充てるメニューを次々と用意。市内でカキや肉を焼いて楽しめるチャリティーイベントも開いた。3月12日に父利二(としに)さん(87)を亡くしたばかりだが、休んではいられない。「その方が父も安心して喜んでくれる」という確信がある。  利二さんは稲作にこだわり抜く頑固な人で、稲を天日干しにする昔ながらの「はさ掛け」の手作業を貫いた。しかし子どもには、ああしろ、こうしろと言わない。やんちゃな青年だった前田さんの目に、寡黙な父は愛情がないように映った。17歳の時、身ひとつで家出した。反発心は寂しさの裏返しだった。  金沢で焼き肉店などを展開する会社に就職。心にはずっと故郷があったが、中途半端な自分では帰れなかった。やがて店を任されると、30代半ばから従業員を連れて田植えを手伝ったり、地元の「お熊甲祭(くまかぶとまつり)」に遊びに行ったりするように。利二さんは何も言わず目を細めて見ていた。雪解けが進み、4年前に万福を開業し「自慢の息子になりたい」と心に誓った。

◆「長い時間がかかったけど…」気づいた優しさ

能登半島地震の避難中に肺炎で亡くなった父・前田利二さん

 そんな中、地震が襲った。実家は倒壊を免れたが、危険を覚えた利二さんらは家を離れ、昼は避難所、夜はワゴン車に身を寄せた。3日後に会いに行くと、利二さんは気丈ながらも疲れた表情だった。  1月10日、母から電話があり「高熱で避難所から救急車で運ばれた」と聞いた。利二さんは入院し、2月には食事がとれず点滴に切り替わった。「もしかしたらダメかも」。脳裏によぎったが、祈るしかなかった。  やっとの思いで面会の約束を取り付けた1、2日後。利二さんの呼吸が止まったと連絡を受けた。待ちきれず病院に電話した時は既に、心電図の値はゼロだった。その日の夕方、2カ月ぶりに対面した父は10キロ超やせて小さくなっていた。葬儀を終え、翌日には金沢で満席の客を迎えた。  今なら分かる。父の寡黙さは無関心ではなく「好きなことを頑張れ」と見守る優しさだったのだと。だから今日も店を開ける。「大変でも自分が良いと思える道を、おのずと選択するようになった。長い時間がかかったけど、父の思いが自分に染み込んでいる」  ◇   5月15日は近くにある系列のもつ鍋店「福多朗」で、被災地支援の一環として、沖縄のアーティストによる三線ライブを開く。料金は食事と飲み物付きで5000円、ノンアルコールの場合は4000円。(問)焼肉 肉割烹 万福080(4189)0369 

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