現在日本にいるパンダが中国からレンタルしているものです。パンダを“友好の使者”とする中国のパンダ外交。その歴史を振り返ります。

 いまから約50年前の1972年、東京・上野動物園に2kmにもおよぶ行列ができました。日本に初めてやってきたパンダの「カンカン」と「ランラン」を一目見ようと日本全国から駆け付けた人たちです。2頭のパンダは、日本と中国の国交が正常化して、その友好の証として贈られました。

 貴重なパンダを“友好の使者”とする中国のパンダ外交。一体いつから始まったのか?その歴史をひも解くと、1930年代にアメリカにパンダブームを巻き起こした1頭のパンダ「スーリン」の存在がありました。

 1937年のニュース映像では、初めてアメリカにやってきたパンダを紹介しています。この子どものパンダが歴史上はじめて海外へ渡ったパンダなのですが、実は、国が贈ったものではなく、アメリカ人の女性が現地で生け捕りにして連れ帰ったものだったのです。これをきっかけにアメリカでは世界初のパンダブームが巻き起こります。

 そこに目をつけたのが当時の中国・国民党政権です。1941年、国民党のトップ蒋介石の妻・宋美齢氏が計画して、アメリカにパンダ2頭が贈られました。中国による初めてのパンダ外交です。

 パンダ外交が活発化するのは1970年代。国民党に変わり政権を握った中国共産党が、国交正常化に動いたアメリカなど8か国にパンダを贈ります。日本も1972年、日中国交正常化を果たすと、初めてのパンダがやってきます。上野動物園に来たカンカンとランランです。

 公開初日にはその姿を一目見ようと、日本中から約5万6000人が訪れ、行列の長さは2kmにも及びました。

 (当時の来園者)「(Qどれぐらい待った?)1時間半ぐらい。(Qパンダは?)1頭は中に入っていて、1頭は後ろ向きだったからよく見えなかったです」
 (当時の来園者)「(Qパンダ見えたのは一瞬?)そうですね、止まると怒られるしね」

 立ち止まって見学することはできず、写真を撮るのも歩きながら…。「2時間並んで見物50秒」と言われる空前のパンダブームとなりました。

 その後も上野動物園には「ホァンホァン」「フェイフェイ」と中国からパンダが贈られ、日中の架け橋としてパンダは不動の地位を築いていきます。

 そんな中、パンダは生息数が減少。絶滅の危機が指摘されるようになり、1984年、ワシントン条約で外国との取り引きが原則禁止に。それでも中国政府は「プレゼントする」のではなく「レンタル」と形を変え、パンダ外交を続けます。

 1994年には和歌山県のアドベンチャーワールドに、2000年には神戸の王子動物園に中国からパンダがやってきました。しかし、このレンタル形式は、パンダ保全の名目で年間1億円ともいわれる高額なレンタル料が発生することから、パンダを呼ぶことに消極的な知事も。

 (東京都 石原慎太郎知事※2009年当時)「(パンダは)いてもいなくてもいいんじゃないの?」

 それでもパンダを望む声は多く、2011年にはオス・メスペアのパンダが上野動物園にやってきて大変な盛り上がりとなりました。しかし、この2011年を最後に、日本に新しいパンダは来ていません。

 実はその間も、中国はこの“友好の使者”を各国に貸し出し続けています。2012年にはフランスに、2018年にはドイツへ。そして今年は、4月、スペインのマドリード動物園に新たなパンダが到着したのに加えて、アメリカのサンディエゴ動物園にも新たなパンダを貸し出すことで合意。アメリカへの新たなパンダレンタルは約20年ぶりとなります。

 逆に去年4頭が中国に返ってしまった日本。今後のパンダ外交はどうなっていくのでしょうか?

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