県外で活躍する青森県民を紹介するターニングポイント。人生の転機となったそのとき、どのような思いや決意があったのか。
第73回のストーリーは、八戸市出身のソプラノ歌手・泉萌子さん。

現在は、音楽教室で声楽を教えながらソプラノ歌手として音楽活動をしている。

■歌うのが好き!歌手への第一歩は“アニメソング” 

幼い頃は、アニメソングを歌うのが好きだった泉さん。小学校では、合唱部に入部した。

泉 萌子 さん
「アニメソングとかポピュラーなものじゃなくて、ちゃんとした合唱曲。ちょっとクラシック寄りのジャンル。どんどん自分の声が出ていくのが楽しくなってきたし、みんなと声を合わせて音楽を作っていく楽しさみたいなのも得ることができた」

中学校には合唱部がなかったので吹奏楽部に入り、パーカッションを担当。

泉 萌子 さん
「そこでパーカッション経験したことによってすごくリズム感が鍛えられた感じがする」

高校の進路を考えている頃、ある先生との出会いで将来の夢の道がつながる。

■運命を変えた恩師との出会い

泉 萌子 さん
「中学校3年生のときに進路を決めますよね。その時に音楽科がある八戸聖ウルスラ学院高校の体験入学に行ったときに、(当時)副校長をやっておられた大川みほ先生にお会いして、実際に声を聴いていただく機会がありまして、『あなたは歌で人を幸せにすることができる人です』っていうふうに言ってくださったのがすごく心に刺さった」

八戸高校に通いながら音楽の大学を目指すため、大川先生のレッスンを受ける日々。そのかいもあり、京都市立芸術大学音楽学部の音楽学科に合格し、声楽を専攻する。

泉 萌子 さん
「(大学が)みんなで生徒を育てるっていうすごく温かい雰囲気だったので、本当に感謝してますね、京都での出会いに」

しかし、卒業の年・2011年に起こった東日本大震災で、自分の生き方を考え直し始める。

■2011年の「東日本大震災」で気持ちに変化

泉 萌子 さん
「(東日本大震災の当日)私自身はまだ京都にいたんですよ。卒業式を控えて。人生、本当どうなるかわからないなって。躊躇をして迷っている間に何が起きてそこで人生が終わっちゃうかもわからないし、昨日と同じ生活が明日も続いているってそんなこと絶対ないんだなっていうのをやっぱりそこで経験したので、自分のできることをやってかなきゃいけないっていうふうに考えるようになりましたね」

それを機に、何事もすぐに行動に移すように。大学院在学中に、交換留学生としてイギリス・ロンドンの王立音楽大学へ。

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