今週お伝えしている「激動2024」。2024年9月、死刑が確定していた袴田巖さんに再審=裁判のやり直しで無罪が言い渡されました。静岡県警と地検のトップが謝罪しましたが、獄中生活による精神の不安定な状況は今も続いています。冤罪の被害を広げないためにも法改正の機運が高まっています。
袴田巖さん、88歳。日課は支援者の運転でのドライブです。2024年、袴田さんは死刑囚から1人の市民に戻りました。
1966年、旧清水市で一家4人が殺害された事件。警察は元プロボクサーの袴田さんを逮捕し、1980年、死刑が確定しました。事件から58年がたった2024年、再審=裁判のやり直しで静岡地裁は袴田さんに無罪を言い渡し、検察が控訴を断念したため袴田さんの無罪が確定しました。
無罪確定から3か月、袴田さんはボクシングの聖地「後楽園ホール」を訪れました。袴田さんを支援し続けたボクシング協会が設置した「袴田巖シート」に座って試合を観戦するためでした。しかし、袴田さんはシートに座ることはありませんでした。
<袴田巖さん>
「きょうのボクシングはね、嘘なんだ全部。全部嘘のことなんだね。世界をとったというのは事実だから」
<袴田さんの姉 ひで子さん>
「わかったわかった。いいよいいよ」
<袴田さんの姉 ひで子さん>
「ほんの5分前まではリングに上がるつもりでいたんですがね。やっぱり後遺症というのは恐ろしいですね。48年の拘置所生活というのが今の巖に出ているんです。死刑囚じゃなくなっても後遺症というものは残っています」
あまりにも長かった獄中生活の爪痕は今も袴田さんの心に残っています。無罪判決までこれほどまでに時間がかかった背景として指摘されるのが、再審について定める「再審法」の不備です。再審請求の審理をなにが長引かせているのでしょうか。
<県弁護士会 梅田欣一会長>
「検察官の再審開始決定に対する不服申し立てが認められたからこそこんなに長引いたという風に言えると思いますので、そこは改正した方がいい」
袴田さんの再審請求をめぐっては2014年に1度、裁判のやり直しが認められました。しかし、検察による不服申し立て=抗告を受け、審理が続き、東京高裁は再審開始の決定を取り消し。結局、再び再審開始が認められ、無罪判決が言い渡されるまでには最初の再審開始決定からさらに10年の月日がかかったのです。
再審請求を長引かせるとされる要素はもう1つ…
<県弁護士会 梅田欣一会長>
「やはり捜査機関側にある証拠をちゃんと見られる、開示しなければいけないという手続きがやっぱり非常に重要になってくると思います」
再審請求の審理では証拠開示のルールがなく、弁護側が開示を求めても検察側に応える義務はありません。袴田さんの裁判で証拠が初めて開示されたのは事件から40年以上がたってから。この証拠開示のハードルの高さが再審の扉を閉ざす原因とされています。
「再審法改正に向けた審議促進を求める意見書、直ちに採決したいと思いますがご異議はありませんか」
「異議なし」
2024年12月、静岡市議会では法務大臣などに向けて、検察官による抗告の禁止や証拠開示に関する仕組みの整備といった「再審法」改正の議論を進めるよう求める意見書が可決されました。
静岡県内では35の議会で同様の意見書が可決されていて、残る浜松市議会でも今週、可決される見通しです。姉のひで子さんは弟の無罪確定後も集会などへ出席し、再審法改正の必要性を訴え続けています。
<袴田さんの姉 ひで子さん>
「やっぱりね、48年巖が刑務所に入っていたってことをね、それを今更どうのこうのとは言わん。48年頑張ったってことはなんかに生かしてもらいたい。そうすれば巖も報われる」
再審法の改正を求める意見書は静岡県だけでなく、全国各地の議会で可決されています。
鄭重声明:本文の著作権は原作者に帰属します。記事の転載は情報の伝達のみを目的としており、投資の助言を構成するものではありません。もし侵害行為があれば、すぐにご連絡ください。修正または削除いたします。ありがとうございます。