地域医療の先進地として知られてきた長野県。
人口減少社会を迎え「住み慣れた場所で最期まで」という思いにどう応えていくのか。
地域医療の現状と課題を取材しました。


諏訪市豊田(とよだ)にある諏訪豊田診療所の小松佳道(こまつ・よしみち)院長。

看護師や保健師などのスタッフとともに患者のもとへ向かいます。

診療所から峠道を走ること30分あまり。

山あいの集落、およそ40人が暮らす後山(うしろやま)地区に到着しました。

「こんにちは~」
「きょうもよろしくお願いします」

訪れたのは、地区の集会場。

住民10人ほどが小松医師を待っていました。

月に1度の出張診療が始まります。


患者:
「本当にありがたい、こんなところまで来てくれて。我々も先生を一か月に一度待っているので、小松先生は欠かせないね」


患者:
「やっぱり来てもらえるのが一番楽。来てもらえなくなったら困る。いい人だし優しいし気兼ねなく何でも話せるから」

諏訪豊田診療所 小松佳道医師:
「地区の方々との信頼関係は大事だと思っているし、何ものにも代えがたいことなので、できる限りのことをしようという気持ちでいます」



集会場まで来ることが難しい患者には、家まで足を運びます。

「こんにちは~」
「緊張するね」
「カメラあって血圧上がっちゃったかな」

小松医師は、諏訪豊田診療所の3代目。

地域に出向いての診療は、祖父の代から80年近く脈々と受け継がれてきました。


諏訪豊田診療所 小松佳道医師:
「わたしの祖父と父の思いもありますし、何よりもこの地区の患者さんたちが待っていてくださるので、私たちが来ることが少しでも安心につながればいいかなと思っています」

小松医師は、市内の山あいの3地区を、毎月一度ずつ訪問。

住み慣れた地域で暮らし続けたいと願う人々の暮らしを支えています。

「顔色よくなったね」
「おかげさまで」「会えてうれしい」

塩尻市の木曽平沢(きそひらさわ)地区。

4月3日、楢川(ならかわ)診療所は、新たな医師を迎えてスタートを切りました。

「きょうから担当いたします桐井と申します。きょうちょっと名札ないんですけど」

地域に暮らす住民は、およそ2000人。

しかし診療所は、医師不足を背景に、2022年の春まで、およそ1年間にわたって診療休止に追い込まれました。

「きょうはどうされましたか?」
「お薬切れてきたもんだから」
「今飲んでるお薬をもらいに来たっていうことね」

市が再開に向けて奔走し、週に1日の診療を2022年に再開。

4月からは、松本市立病院から医師の派遣を受けて、週2日の診療日が設けられました。

内科医だけでなく、外科の医師も派遣され、診療科目も幅広くなりました。


松本市立病院 桐井靖副院長:
「ひとりではなく、面として支えていくというのが大切だと思う。専門と総合をつなぐような役割が僕らや松本市立病院の立ち位置だと思っているので、そういう力を発揮できるような協力の仕方をしていきたい」

患者:
「いろいろな経験もあるみたいだし、その経験を生かして我々の病気を治してくれれば一番うれしい話だね」

患者:
「うんと違うよ、車の衆は特にそうだ。(楢川診療所なら)自分で車乗って行けちゃうから、人に迷惑かけることがなくなっていいでね」



地域医療は、いまどのような状況に置かれているのか、1人の医師を訪ねました。

松本市の藤森病院で在宅診療を担当する廣瀬聡医師。

22年前、当時の鬼無里村診療所の開設に携わり、村の地域医療を長年担ってきました。

その後、合併前の武石村でも診療所の医師として地域の人々の健康を支え、暮らしに寄り添ってきました。

全国的な医師不足が地域医療の担い手不足を生み、さらに若手医師や患者側の意識にも変化があるのではと廣瀬医師は話します。


廣瀬聡医師:
「医師不足というのがあって、診療所で働こうという医者がどこも足りなくて困っているという話は方々から聞いています。住民の意識も変わっていて大きな病院への志向が強くなっている部分もある」
「僕が鬼無里にいたころは鬼無里に張り付いて365日24時間何かしらの方法で医療を提供していたのですが、地域医療をやっていく中で一番大事なのは、住民の生活を支えるということに協力できるかだと思っています」

住み慣れた地域で暮らしたい。

その思いに答えてきた地域医療。

時代が変化する中でも医師たちの奮闘が続いています。

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