太陽光パネルの下で自然栽培した米からできた日本酒「推譲」(すいじょう)。老舗の蔵元が〝脱炭素〟の酒造りに取り組む理由とは。「シリーズSDGsの実践者たち」の第39回。

二宮尊徳と「推譲」の思想

箱根の麓、神奈川県大井町で寛政元(1789)年から酒蔵を営む井上酒造。11月末に酒蔵を訪れると、今年収穫された米を使って酒造りが行われていた。

井上酒造(神奈川県大井町)
蒸した米を使って出来た麹

井上酒造では、以前から地元の米を使った酒造りに取り組んできた。さらに、地元の米であることに加えて、「自然エネルギー100%」と「自然栽培米100%」で造った日本酒「推譲」を2021年から販売している。

自然エネルギー・自然栽培米100%の「推譲」

「推譲」は、江戸時代の思想家である二宮尊徳が唱えた、「報徳思想」の中核をなす言葉の一つ。身の丈に合った生活をして、余剰が出たら今その余剰分を使うのではなく、将来のため、社会のために使うことを意味している。

二宮尊徳が生まれたのは井上酒造が創業する2年前。生まれた土地も約2キロしか離れていない。井上酒造の7代目で代表取締役の井上寛さんは、「推譲」を開発する前から二宮尊徳の教えを学びながら、日本の農業や地域のために何か役に立つことができないかと模索していた。

井上酒造 井上寛さん

「日本で仕事として農業に従事している農業人口は、2000年に240万人だったのが、2023年には116万人と半分以下に減少しました。ここ足柄平野でも耕作放棄地が増えていて、この先の農業はどうなるのだろうと不安を抱いています。米を使わせてもらって商売をしていることから、何か役に立つことができないかと考えていました」

ソーラーシェアリングで自然栽培米を生産

「推譲」を一緒に企画したのは、ソーラーシェアリングに取り組んでいる小田原かなごてファーム代表の小山田大和さんだった。

小田原かなごてファーム代表 小山田大和さん

ソーラーシェアリングは営農型太陽光発電のことで、農地に太陽光パネルを設置して、発電と同時に農業も行う。小山田さんは、2015年からソーラーシェアリングを始めて、2018年からは水田で取り組もうとしていた。

ソーラーシェアリングに取り組む水田

「米を生産しても農家は全く儲かりません。足柄平野ではもともと水田だった土地の多くが、耕作放棄地になっています。発電と組み合わせることで儲かる仕組みができれば、米の生産を続けることができると思い、水田でのソーラーシェアリングを始めました」

農作業をしやすいように、太陽光パネルは1本足型の支柱で設置されている。パネルは1枚あたりの面積が広いものを使っていて、その分発電量も大きくなる。一方、水田では農薬や肥料を使わない自然栽培の手法を採用。収穫量は多くはないものの、米を販売した金額の10倍から15倍の売電収入がある。

1本足型の支柱で設置された太陽光パネル

井上さんと小山田さんは地域の勉強会などで面識があり、ソーラーシェアリングを活用して日本酒を造ることを2人で発案。水田で発電した電力を、電力会社の「みんな電力」を介して酒蔵で使用するとともに、自然栽培米による日本酒作りを始めた。

3年間の試行錯誤を経て完成

酒蔵でソーラーシェアリングの電力を利用することで、井上酒造では日本酒の製造過程で二酸化炭素の排出をゼロにすることができた。ただ、米作りは順調にはいかなかった。

2018年は台風の影響で全く収穫できず、翌2019年もごくわずかの収穫量で、酒を仕込むには足りなかった。2020年に300キロほどの米を収穫できて、2021年にようやく最初の酒が完成した。その時のことを井上さんは次のように振り返る。

「どんな酒ができるのだろうと思いながら仕込みましたが、ふくよかでキレがある、美味しい味の日本酒になりました。おそらく創業した頃も、『推譲』と同じように地元の自然栽培米を使って酒を造っていたと思います。当時はどんな酒ができていたのだろうと思いながら仕込んでいます」

「推譲」に使っている米は、神奈川県で開発された食用の品種。最初の年は「キヌヒカリ」で、現在は「はるみ」で仕込んでいる。4合瓶で700本を生産し、井上酒造や地元の酒屋などで販売する。全て地元で完結しているのは、井上さんのこだわりだ。

小田原かなごてファームのソーラーシェアリングは7号機まで拡大し、農地は9000坪にまで広がった。小山田さん自身が栽培する以外にも、市民農園として開放して、地域ぐるみで自然栽培による米作りをしている。

また、ファームではミカン畑の耕作放棄地も再生している。ミカンのジュースと「推譲」を組み合わせてスパークリングにした「おひるねみかん酒スパークリング」も開発した。「おひるね」は、耕作放棄地を「おひるねしていた畑」と表現したのが由来だ。

〝脱炭素〟をもっと意識してほしい

自然栽培米の収穫や「推譲」の生産は軌道に乗り、2025年も2月から仕込みを始める。さらなる生産拡大を目指しているものの、小山田さんはソーラーシェアリングのために耕作放棄地を確保するにはまだハードルがあると話す。

「全国各地でメガソーラーによる環境や景観への影響が問題になっていることもあり、太陽光発電にネガティブなイメージを持っている土地所有者もいます。それでも、耕作放棄地は増える一方なので、ソーラーシェアリングの取り組みに理解を求めながら、農地の確保を進めています」

井上さんは「推譲」に込めた〝脱炭素〟のメッセージを、もっと多くの人に伝えていきたいと感じている。

「『推譲』で伝えたかった、気候変動を抑えて自然を守っていきたい思いは、まだまだ広がっているとは言えません。ただ、今年の異常な暑さや、米不足が起きていることによって、気候変動を身近に感じる人は増えているはずです。日本の食料自給率が低迷している中で気候変動が進めば、今以上に農作物に影響が出ます。もっと農業に関心を持ってもらうとともに、脱炭素の取り組みにも目を向けてもらいたいですね」(「調査情報デジタル」編集部)

【調査情報デジタル】
1958年創刊のTBSの情報誌「調査情報」を引き継いだデジタル版(TBSメディア総研が発行)で、テレビ、メディア等に関する多彩な論考と情報を掲載。2024年6月、原則土曜日公開・配信のウィークリーマガジンにリニューアル。

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