2024年のノーベル平和賞は核兵器の廃絶を訴える「日本被団協」が選ばれました。終戦から来年で80年。戦争を語り継ぐことが年々難しくなっています。平和の尊さをピアノで伝えていこうと活動を続ける被爆2世の調律師がいます。
「戦争ほど残酷なものはない。平和ほど尊いものはないという祈りでこの曲を演奏したい」
横浜市で開かれたアメリカ出身のピアニスト ジェイコブ・コーラーさんのコンサート。演奏しているピアノには、多くの傷が残っています。79年前、広島に落とされた原子爆弾で被爆したピアノです。
1945年8月6日、広島に落とされた原爆。これまでに亡くなった被爆者は34万人を超えています。
平和の尊さを訴えるため、被爆したピアノを後世に残そうと活動する調律師がいます。
被爆2世として広島で生まれた矢川光則さんは現在、7台の被爆ピアノを保管しています。
「私の活動は『平和の種まき』と言っているが、多くの人がこのピアノの音色で戦争や原爆のことや平和を考えるきっかけに、今までずいぶんなっている」(ピアノ調律師 矢川光則さん)
浜松市の音楽学校でピアノの調律を学んだ矢川さん。この日は第2のふるさと・静岡の小学校に被爆ピアノを持ち込みました。
「(広島に原爆が落ちて)その年に約14万人の人が亡くなった。ピアノも79年前、広島市の中心部の民家にあったが、持ち主の被爆者の人が『役に立ててください』と(譲渡してくれた)」(矢川さん)
矢川さんはこれまで全国各地、3000回以上のピアノコンサートで被爆ピアノの音色を響かせてきました。
被爆ピアノを演奏した児童は「私たちは平和な時に生まれているから(戦争を)想像できないが、この見た目を見るとそんな感じなんだなと分かった。平和に暮らせるようにいろいろな事を勉強して、未来のためにつないでいけたら」と語りました。
来年、2025年で終戦から80年。矢川さんは被爆ピアノが奏でる音で戦争を繰り返してはいけないという平和への思いを多くの人に届けたいと願っています。
「被爆者も、戦争体験者も、高齢で語り継ぐ人はすごく減少している。特に被爆地の広島にとっては、後世にどう伝えていくかが非常に大きな課題になっている。ピアノは人間よりも長生きする。これからも果たしていく役目は、ますます大きくなると思う」(矢川さん)
2024年、広島の原爆死没者名簿には新たに5079人の名前が書き加えられました。時代の流れとともに戦争を語り継ぐ人は年々減り続ける一方で、国際情勢は緊迫化し、核兵器廃絶に向けた道のりは厳しさを増しています。
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