15年ぶりに選挙モンスター河村たかしさんが出ない名古屋市長選挙。
後継者には広沢一郎さんを指名した。
しかし、対抗馬の前参議院議員・大塚耕平さんには主要政党が相乗りで現職知事も支援する展開。政財界やマスコミなどでも「広沢さんを大塚さんが破り圧勝か!」そう見ている人は多かった。
ただ、私はその見解に違和感を覚えていた。
確かに衆院選、市長選11連勝中の河村さんは出馬しないが、政治とカネの問題を発端にした政治不信が続く中、既存の政党政治、議会政治は果たして支持されるのかという疑問だ。
直近の衆院選では、自民党は議席を大幅に減らし、30年ぶりに少数与党となった。
こうした風が吹く中で、兵庫県民に問われたのが斎藤元彦前知事を受け入れるのか?受け入れないのか?という超難問だった。
当初は、分かりやすい問題だったはずだ。異例の満場一致で県議会全員にNOを突きつけられ、兵庫県庁から退場させられた張本人だったからだ。
しかし、SNSなどネットを中心に支持が広がっての大逆転となった。最終盤にな
り、兵庫県の22の市長が会見を開き、斉藤さんにダメ押しのNOを突きつけたが、これが逆効果だったようで、既存の政治への不信や不満がむしろ際立った結果となった。
名古屋市長選挙は「河村前市長VS大村知事」の構図?
名古屋市長選はどうだったのか?
大塚さんは、自民、公明、立憲、国民の推薦も受けたが、水面下で支援していても、所属議員らが積極的にマイクを握って応援する戦略はとらなかった。
表立っての支援ではなく、いわゆるステルス作戦を選んだのだ。それはなぜか?
実は、この選挙戦の構図は、これまでの河村市政の闘いの構図そのものになっていたからだ。
河村さんいわく、庶民派市長 VS オール議会。
これは、給料を三分の一以下の800万円に減らした自分を庶民の代表に見立て、給料を自分のように大きく減らさない議会は税金を食い物にしていると批判を続けた河村市政4期の15年戦争の構図なのだ。
大塚陣営からすれば、市議会議員らが街頭に立てば、相手の土俵で相撲をとることになる、それは避けたかったのだろう。
「家庭内離婚」という言葉も…
大村秀章知事の支援も諸刃の刃だった可能性もある。
大村知事といえば、2011年の愛知県知事選と名古屋市長選のダブル選挙の頃こそ河村さんと蜜月関係だったが、次第に距離が生まれ、2014年頃には河村さんが「家庭内離婚」という言葉を使うほど、両者の関係は冷え切っていた。
その後も溝は深まるばかりで、もはや修復は不可能な状態だった。
こうした中で、河村市政路線をストップさせる絶好のチャンスが到来した。
河村さんは市長を辞めて衆院選へ。大村知事はすかさず会見を開き、市政を放り投げたとして河村さんを批判し、大塚さん支援を打ち出したのだ。
大村知事は4期13年の実績を誇り、今や愛知県議会も手中に収める実力者。その人が本気を出せば、当然一定の票は上積みできたと予想されるが、一方で河村支持層が固くまとまって、広沢さんの支援を分厚くしたことも考えられる。
つまり、この構図も河村前市長VS大村知事の10年戦争の構図そのものなのだ。
大塚陣営は、この2つの闘いの構図を切り離しての選挙戦ができず、代理戦争の象徴になってしまった。
理由は、広沢陣営が街宣車に「河村・広沢VS四大政党」「河村前市長VS大村知事」という構図を描いたポスターを張り、大塚陣営が消したかった対立を鮮明にし、大塚さんを無理やり土俵に上げる作戦に出たからだ。
“本人の意思”が見えづらかったのも敗因の一つか
候補者の主張にも光と影があったと思われる。
広沢さんは、河村市政の後継者らしく、市民税減税、名古屋城の木造復元、市長給与800万円は◯にした。
共産党が推す尾形慶子さんは、市長給与800万円以外は全て✖という立場。ある意味、河村市政継続NOの分かりやすい主張を展開した。
広沢さんは河村市政を全て引き継ぐが「品の悪いところだけは継承しない」と河村支持者の心をつかんだ。
一方、大塚さんは市民税減税について「まずは効果を検証」名古屋城木造復元は「現状を把握して市民の声を聞いて検討」と玉虫色の主張を繰り返した。
また、市民給与800万円も「審議会に委ねる」という答えで、本人の意思が見えづらかった点も敗因の一つであったようにも思える。
給食費ゼロ、敬老パスの負担金ゼロ、がん検診代ゼロの「3つのゼロ」を訴えるなど、元国民民主の国会議員らしく「手取りを増やす」公約は市民の心に刺さりそうな政策だっただけに、それらを争点化できなかったことは誤算だったかもしれない。
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