石川県輪島市町野町出身のシナリオライター、藤本透さんは、実家も被災した中、発災から一日も休むことなくSNSで発信を続け、MRONEWSDIGでは地域の人たちの声を集める「ふるさとの今」を連載しています。番外編として準備を進めていた本記事ですが、公開を前にした9/21、未曾有の豪雨災害が能登地方に降りかかりました。

冬期の雪の期間に入る前にと、能登では、地震に加え、9月の豪雨が追い打ちをかけた形で復旧作業に追われています。

豪雨で被害を受けたバス停 提供:町野町の有志の方

1年に2度も大きな被害にあった能登の人たちの心が負った傷は計り知れません。

みなさんの思い出や心の支えとなったご支援をなかったことにはしたくないという強い思いを受けて、奥能登豪雨の前に執筆していた記事のまま、公開します。

輪島市町野町出身のシナリオライター、藤本透です。

能登の移動手段になくてはならないバス。元日の地震で道路は大きな被害を受け、バスの運行も影響が続いています。多くの人にはそれぞれの最寄りのバス停があり、思い出があります。思い出のバス停がマグネットやコースターになり、被災者から人気を集めています。

普段は気丈に明るく振る舞っているように見えても、本当のところはその人にしかわからない。そうした悩みや苦しみ、不安を抱えている人たちの、心の復興の後押しになれればと、能登町柳田地区出身のいけちかさんは、「能登バス企画」を立ち上げました。

写真: 「能登バス企画」のチラシ 提供:いけちかさん ※現在は終了しています

1月1日、里帰り中に被災した「いけちか」さんは、加賀で会社員と子育てをしながら、能登のために出来ることを模索しつづけ、「能登バス企画」の他にも、炊き出しなどのチラシ作成代行や、石川県の災害ボランティア活動などの各種ボランティア活動、個人や有志の方との物資支援などを継続していらっしゃいます。

藤本とも、1月の早い段階から、X(旧・Twitter)を通じて情報交換を行っていました。

企画のきっかけは・・・

「能登バス企画」のきっかけは、北陸鉄道さんの公式グッズを製造・販売している八伸化成株式会社の寺谷伸吾さんが能登への応援企画として開始した、「北鉄マグネット/コースターのオーダーメイド受注」企画でした。

元々、物産展を通じて数年前から交流があった藤本が応援のため、Xの引用リポストを行ったことで、いけちかさんの目にとまったのです。

そんな八伸化成株式会社さんの「北鉄マグネット/コースターのオーダーメイド受注」にも、また、きっかけがありました。

八伸化成株式会社(宝達志水町)

羽咋郡宝達志水町にある八伸化成株式会社さんは、プラスチックの加工成型を手掛け、オリジナルのコースターやマグネットを製造しています。1月から再開できたものの、能登地区の取引先のほとんどが甚大な被害のため休業に追い込まれ、売り上げは地震の影響を受け、落ち込むばかりでした。

そんな中、担当者の寺谷伸吾さんに、取引先である有限会社モリシタの森下明広社長より、「同じ石川県の企業として能登地区向けに扱っていたグッズを金沢駅で販売し、売り上げの一部を義援金として寄付したい」との申し出がありました。

有限会社モリシタさんは、約60年前から金沢駅でお土産屋さん経営しており、現在の森下明広社長は二代目。もともとは、洋傘やカバンの服飾雑貨を専門としていらっしゃいましたが、時代の流れとともに、小物雑貨をメインに扱うようになります。北鉄バスマグネットやコースターもお土産として人気の商品でした。

こうした森下社長の思いを受け、商品1個につき、100円を義援金に充てることで、能登への支援となる売り上げを重ねていきます。

こうした実績が実を結び、2月より、主力商品である「北鉄バス停マグネットとバス停コースター」のオーダーメイドが実現しました。

「廃止になったバス停も制作対象」被災者の心のよりどころに

対象となるバス停は、奥能登地区、志賀地区、七尾地区、中能登地区のバス停に限りましたが、「現存するバス停」または「かつて存在した廃止バス停」という気遣いが好評を博しました。

奥能登の山間を走るボンネットバス(1978年) MROライブラリー映像より

奥能登は、ここ十数年でいくつもの廃止バス停が増えており、そのなかには、廃校に伴う学校前のバス停の廃止なども含まれていたことから、そのバス停を使っていた利用者の方々には非常に意味があることだったのです。

こうして、県外在住の能登出身者や能登に親戚・身内がおられる方、お仕事で能登に度々来られる方、災害ボランティアの方など沢山の方から、好きな地名、思い入れのある場所等を製品化して能登を応援しようと注文が集まりました。

私、藤本も「町野」「曽々木口」「真浦センター」「南志見」「名舟」を注文しております。

特に真浦センターは、今はないバス停で、夏休みに祖父に連れられて御陣乗太鼓を観に行った思い出が、マグネットを見るたび蘇ります。

オーダーメイドで作ったバス停マグネット 提供:藤本透さん

3月、SNSで八伸化成株式会社の担当者さんが発信していた商品と企画を、いけちかさんが私のX(Twitter)のポストから見つけます。

バス停グッズに一目惚れしたいけちかさんは、この商品を能登の人たちにプレゼントしたいと、担当者の方に申し入れ、「能登バス企画」が、八伸化成株式会社の担当者である寺谷さんといけちかさんの共同で開始することとなりました。

最初は、能登町限定でスタート、好評で奥能登2市2町へ拡大

3月2日に第一弾となる能登バス企画の募集を、能登町限定・先着100名で開始しました。

反響は大きく、5月1日の第二弾は先着300名で、奥能登2市2町にお住まいの方(二次避難等されてる方も含む)に対象者を拡大し、スタートしました。

能登バス企画に寄せられた思い出のバス停の数々 提供:いけちかさん

前回の口コミや評判もあり、輪島、珠洲、穴水からの応募が集まり、「他の人が持っているのを見てほしくなりました」と、現物を見ての応募も増えていきます。

そんな方々の声を受け、いけちかさんは、家族、友達、ご近所さん、職場の方、どんな方でも受け付けてくださいました。

綺麗に梱包されて届いたバス停マグネットを受け取った方からは、たくさんの感謝の声が届きます。

地震で失われてしまったバス停のみならず、廃止されたバス停も含め、「懐かしく思い出が蘇る」、「バス停グッズをきっかけに思い出話が出来る」、「故郷をいつでも思うことが出来る」という声を中心に、観光地や有名な場所でなくても、自宅や思い出の場所の最寄りの場所がオーダーメイドで手に入る喜びの声。

辛い気持ちに蓋をしながら過ごす日々の中で、「あのときの」「あの場所」という懐かしい思い出のきっかけをもらえたという感謝の声。

地元を離れて久しく、能登のためになにかしたいけれど踏み出せずにいる中で、自分なりの寄り添い方を見出した方にとっては、「能登を応援したい」という気持ちに寄り添い、叶えてくれる企画であったといいます。

オーダーメイドというスタイルをとったことにより、自分だけの特別なふるさとのグッズが手に入ったという喜びの声も多く届きました。

なかには、能登バス企画からグッズの存在を知り、ボランティア参加の記念や、関わってくださった方々へのお礼のプレゼントとして、八伸化成さんにオーダーをしてくださった方もいるほどに反響は大きくなりました。

こうしたたくさんのみなさんのお声を受け取り、6月28日に、能登6市町を対象とした先着300名の第三弾が最終回として企画されました。

鄭重声明:本文の著作権は原作者に帰属します。記事の転載は情報の伝達のみを目的としており、投資の助言を構成するものではありません。もし侵害行為があれば、すぐにご連絡ください。修正または削除いたします。ありがとうございます。