米国景気の動きは米大統領選挙の結果次第で大きく異なりうる。民主党ハリス候補は再分配政策を通じた格差是正に重きを置く一方、共和党トランプ候補は減税や関税の活用で内需振興を目論む。なかでもトランプ候補の公約は大胆な内容が含まれており、経済へのインパクトは大きい。
仮に、ハリス候補が当選する場合、米国の実質GDP成長率は2%前後で推移し、経済は軟着陸を果たすと見込む。家計支援策が個人消費を押し上げる一方、富裕層や大企業などへの増税が景気を押し下げ、全体としてみれば景気は安定する見込みである。ただし、「ねじれ議会」となる場合、共和党の反対などで増税が実現せず、景気の過熱を通じてインフレが進む可能性もある。
仮に、トランプ候補が当選する場合、インフレ圧力が高まるとともに、米国景気は大きく振れる可能性がある。対中関税の引き上げと大規模な減税がともに実行される場合、成長率は 2025 年に1%台に減速した後、2026 年に2%台半ばへ高まると予想する。これは大統領権限で実行できる対中関税の景気下押し効果が、減税による上押し効果よりも早いタイミングで発現するためである。この間、インフレ率は2026 年にかけて3%近くに高止まりすると予想する。世界一律に関税を課す「ユニバーサル・ベースライン関税」は実現が難しいとみられ、標準シナリオに織り込んでいないが、仮に実施されれば、成長率は▲1%ポイント以上押し下げられ、明確な景気後退に陥るリスクがある。
両候補ともに、財政収支が悪化する可能性が高い。とくにトランプ政権下では、財政赤字額がGDP比で 8.4%と平時としては近年になく高い水準となる。米長期金利は上昇し、為替レートは 150 円付近の円安が続く見通しである。ハリス政権下でも「ねじれ議会」となる場合、財政赤字が膨らむ展開に注意が必要である。
不透明感高まる米大統領選挙
米大統領選挙の結果を巡る不確実性は高い。共和党トランプ候補と民主党ハリス候補の支持 は拮抗している。米政治サイト「リアル・クリア・ポリティックス」によると、トランプ候補 とハリス候補の支持率はともに 40%台後半とその差はわずかである。激戦州の支持率(10月 21日時点)をみると、選挙戦終盤に入ってからいずれの州でもトランプ候補の支持率がハリス候補を上回っているが、その差が1%ポイント以内の州が半数を占めており、なおも接戦が続いている。大統領選挙とともに実施さ れる連邦議会選挙の行方も不透明である。米国の政治サイト「270 to win」によれば、上下院ともに共和党と民主党は競っており、上下両院で支配政党が異なる「ねじれ議会」となる可能性も十分にある。
両候補の経済政策には違いが多く、米国経済への影響もいずれの候補が当選するかで大きく 異なる。民主党ハリス候補は企業から家計への再分配を通じた格差是正に重きを置いた政策を公表している。企業や富裕層への増税を掲げる一方、中低所得者層への減税や住宅購入支援を打ち出しているほか、食品値上げの規制も経済政策として盛り込んでいる。当初公表された政策は企業に厳しい内容であったことから、ハリス候補は9月に追加の経済政策を公表 し、起業家や中小企業などへの支援や先端分野などへの税優遇策など企業寄りの政策を掲げている。
一方、共和党トランプ候補の経済政策は減税や関税引き上げで内需振興を図る点が特徴であ る。また、「米国第一主義」のもとで、不法移民の強制送還や同盟国への軍事負担の要求といった排外的な政策も打ち出している。地球温暖化対策に反対姿勢も示しており、電気自動車(EV)の推進政策を撤回するほか、石油・ガスといった従来型のエネルギー分野で規制緩和する方針も掲げている。
ハリス氏再選なら経済は軟着陸
仮にハリス候補が当選した場合、米国経済は軟着陸を果たすと予想する。ハリス候補が掲げ る政策が実施される場合、米国の実質GDP成長率は 2025年に 1.8%、2026年には 2.0%と、 経済は潜在成長率並みで推移する見通しである。
経済見通しでは、公約に掲げられた低所得者層向けを中心とする支援策と、企業・富裕層へ の増税の影響を、ともに織り込んでいる。低所得者層向けの支援策は 2026年から開始されると仮定しており、2025年末に打ち切り予定の 「トランプ減税」が中低所得者層で延長されるほか、児童税額控除や養育費助成といった子育て世帯への支援策が実施される。「トランプ減税」 はトランプ前政権時代の2017年末に決定した「減税・雇用法」によるもので、ハリス候補は中低所得者層に限って延長する旨を表明している。
米国の超党派で構成する「責任ある連邦予算委員会」によると、ハリス候補が掲げた減税や 歳出拡大策は、今後10年間で財政支出を 7.3 兆ドル増加させると試算している。このうち家計向けの所得支援策は6兆ドル弱にのぼり、2026年の成長率を概ね 1.0%ポイント押し上げる見込みである。このうち、トランプ減税の延長による押し上げ効果は 0.5%ポイントに達し、減税打ち切りで景気が押し下げられる「財政の崖」が解消されるかたちである。一 方、企業や富裕層への増税として、①法人税率の引き上げ(21%から28%)、②キャピタルゲイン課税の強化、③高所得層への金融所得課税の強化を打ち出しており、これが2026 年の成長率を▲0.4%ほど押し下げる見通しである。
ハリス政権の下で、成長率は巡航速度で推移 し、インフレ圧力は高まらないと考えられる。コアインフレ率は2026年にかけて2.3%と中央銀行の目標値近くで推移すると予想する。インフレの収束で政策金利も引き下げられ、2025年には3.5%、2026年には3.25%と3%程度とみられる中立金利付近まで低下する見込みである。この結果、実質金利は2026年にかけて小幅ながら低下し、成長率を押し上げる要因になると予想する。
このような見通しは、民主党が議会の多数を占め、ハリス候補の公約が議会の承認を容易に 得ることを前提としている。ただし、民主党が上下いずれかで過半数を割る「ねじれ議会」となる場合、共和党の反対などで増税が実現しない可能性が高まる。増税なしで家計への分配策だけが実行される場合、景気が上振れてインフレ率が2026年に2%台後半へ高まる計算にな る。このようにハリス政策でも、議会情勢次第では景気が過熱し、インフレが進む可能性がある点には注意が必要である。
このほか、ハリス候補は、食品価格の統制、 住宅購入の補助、クリーンエネルギ―産業への支援、先端分野などへの税優遇といった政策を打ち出しているが、詳細な経済への影響が算定しがたいため、見通しには織り込んでいない。
トランプ再選なら景気は不安定化
仮に、トランプ候補が再選される場合、景気は不安定な動きとなると予想する。米国の実質 GDP成長率は 2025年に1.5%へ減速した後、 2026年に2.3%に高まる見込みである。 2025年に実施される関税引き上げが景気を減速させる一方、2026年に実施される大規模な減税がそ うした負の影響を相殺し、景気を押し上げる構図となる。
トランプ政策では、供給を阻害する政策と需要を押し上げる政策がともに盛り込まれており、インフレが進むもとで景気は上下双方に揺れ動くと考えられる。供給を阻害する主要な政策として関 税の引き上げが挙げられる。トランプ候補は、中国への関税を 60%に引き上げるほか、ユニバーサ ル・ベースライン関税を導入し、すべての国の製品に 10~20%の関税を課すと主張している。このほか、メキシコからの輸入車に必要なら200%の関税をかけるとの考えも表明している。
関税政策のうち、図表4と6の見通しでは、対中関税 60%への引き上げのみを織り込んでいる。 この政策は大統領権限で実行可能とみられることから、2025年中と比較的早期に実行されると仮定している。対中関税の引き上げにより米国の平均関税率は現行の 2.2%から 7.5%と、前回在任時の 2018~19 年の引き上げ幅を大きく上回る見通しである。これにより中国製品の輸入価格 が上昇し、消費者物価は2025年に0.8%、2026年に0.5%ほど押し上げられるとみる。 物価上昇による家計の購買力低下で、実質GDP成長率は2025 年に▲0.3%、2026 年に▲0.5%ほど押し下げられると予想する。物価上昇を受けて政策金利は 2026 年末にかけて4%台と高止まりする。実質金利も上昇し、実質GDP成長率を押し下げる。
こうした関税による景気下押し圧力は、遅れて発現する減税による押し上げ効果で打ち消されると予想する。トランプ候補は前政権時に導入した「トランプ減税」をすべての家計を対象に延長するほか、社会保障給付、残業代、チップ収入といった種々の所得も非課税とする案を打ち出してい る。また、国内で生産活動している製造業を対象に、法人税率を21%から15%に引き下げるとしている。
これらの減税は2025年末までに議会を通過し、2026年から実施されると仮定している。減税は景気を大きく浮揚させるとみる。「責任ある連邦予算委員会」の試算によると、トランプ候補が掲げる減税政策は今後10年間で財政赤字額を10.2兆ドル押し上げる。これにより実質GDP成長率は、2026年に1.5%ポイント押し上げられると見込む。トランプ減税の延長による押し上げ分は 0.9%ポイントにのぼり、ハリス政策と同様、「財政の崖」は回避される。減税対象に高所得者 層も含まれる分、延長による景気押し上げ効果はハリス政策よりも大きい。減税延長以外の財政政策も成長率を0.6%ポイント押し上げる。
以上の見通しは、トランプ候補や議会が関税引き上げの範囲をどこまで広げるかによって大きく変わりうる。上記の見通しでは、トランプ政策のなかでも最も影響が大きいユニバーサル・ベースライン関税は実施されないと想定している。同関税は対中関税と異なり、議会の承認を得る必要が あるとみられるほか、実施される場合の米国民への痛みも大きく、法案成立までのハードルは高い。 民主党ではハリス候補がこの関税の導入に否定的な見解を示しているほか、自由主義を標榜する一部の共和党員からも反対される可能性がある。
もっとも、仮にユニバーサル・ベースライン関税が導入され、一律10~20%の関税が課されると、 平均関税率は20%台へと跳ね上がり、大幅な物価上昇を通じて景気は後退に陥ると考えられる。試 算によれば、実質GDP成長率は追加的に▲0.6~1.2%ポイント押し下げられ、1%台へ低下する 可能性もある。そのため、図表4の経済見通しには、強い下振れリスクを内包している点に注意が必要である。
上記以外の政策として、トランプ候補はこれ までの環境・エネルギー政策を転換し、EVなど新エネルギー製品の生産・購入支援を打ち切 ることなどが予想されるが、その政策効果は不透明であり、見通しには織り込んでいない。また、旧来型のエネルギー産業の規制緩和などで資源価格が下落する可能性もあり、その場合、 インフレ率が低下する可能性もある。一方、不法移民の強制送還といった移民排斥政策が、労働需給のひっ迫を通じてインフレ率を押し上げる可能性もある。
両候補とも財政を悪化させるリスク
両候補の政策ともに財政収支を悪化させ、金利上昇につながる可能性がある。なかでもトラ ンプ政権下では財政赤字が大きく膨らむ可能性がある。前述のとおり、トランプ政策では減税額がハリス政策よりも大きい一方、歳入の増分は関税引き上げなどにとどまり、企業や富裕層への増税を掲げるハリス政策よりも収支改善が小さい。その結果、トランプ政策によ る財政赤字額は 2028年にGDP比で8.4%に達し、ハリス政策の6.9%を大きく上回る。これはリーマンショックやコロナショックなどを除いた平時としては異例の大きさであり、 財政赤字が問題視された1980年代の水準を大 きく上回る。
仮に、財政の持続性に対する懸念が市場で強まると、信用格付けの引き下げなどを通じて、 長期金利に上昇圧力がかかる。米国のタームプ レミアムは足元ではゼロ%にとどまっているが、 中央銀行は国債保有の減額に着手しており、タームプレミアムは上昇しやすい地合いにある。1980年代にはタームプレミアムが4%に達していたことを踏まえると、今後、財政赤字の大きさ次第で、長期金利は7~8%へ 上昇してもおかしくはない展開となろう。
ハリス政策でも財政悪化が懸念されるリスクがある。前述のとおり、ねじれ議会となる場合、法人増税や富裕層増税が議会で承認されない可能性が高い。その場合、財政赤字額は増加し、 2028年にはGDP比で 7.6%とトランプ政策に迫る大きさとなる。むろん、歳出関 連の法案もハリス候補の公約通りに成立しない 可能性もあることから、財政収支への影響は明 確ではないが、法人・所得増税は共和党の党是と相容れないだけに、ねじれ議会になると財政赤字は膨らみやすくなると考えられる。
米大統領選の結果はわが国にも影響大
米国大統領選挙の結果は、わが国にも大きな影響を及ぼす。とくにトランプ政策では、わが国の資本財セクターが打撃を受けやすい。資本財セクターはわが国の基幹産業であるだけに、その業況悪化は経済全体に広がりやすい点に注意を要する。 また、米国でのインフレ高進や金利上昇が、円安を通じてわが国の中小企業や家計に悪影響が及ぶ可能性もある。日米金利差に基づいた試算によると、2026 年のドル円相場はハリス政策で1ドル130円と円高で推移する一方、トランプ政策で1ドル143円と円安基調が持続する。わが国では金融政策の正常化が進められ、政策金利が 2026年末に1.25%へ引き上げられ、円高圧力を高めると想定している。そのもとで、ハリス政権下では米国の利下げが進むことから日米金利差が 大きく縮小し、円高基調が強まる。一方、トランプ政権下では米国の利下げテンポが緩やかとなる ことから、円高は小幅にとどまる。物価の状況次第では、金融政策は利上げに転じ、円安が進むこともありうる。 わが国では、円安が再燃すると賃上げ機運が阻害される恐れがある。わが国では、「賃金・物価の好循環」の途上にあるだけに、米国の経済政策が為替市場に及ぼす影響 を注視する必要がある。
(※情報提供、記事執筆:日本総合研究所 立石宗一郎、松田健太郎、西岡慎一)
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