アフリカ・モザンビークから元パラリンピック選手を招き、さらに友好を深めよう――。2021年に東京で開かれたパラリンピックで同国のホストタウンを務めた松山市の中高生を主体とした非政府組織(NGO)「ブリッジ・オブ・フレンドシップ」(Bof)が、視覚障害がある元選手の渡航費などを募るクラウドファンディング(CF)を始めた。
元選手は、陸上競技走り幅跳びなどでモザンビーク代表として東京パラリンピックに出場し、首都マプトの小学校教師でもあるイラーリオ・シャベラさん(30)。Bofは「パラリンピックのレガシー(遺産)を未来に」と、7月にシャベラさんを日本に招待し、各種交流行事を予定している。
手術費用を支援
Bofは22年3月、「松山市とモザンビークの人々の心を豊かにすること」を目標に、同市立新玉(あらたま)小学校の6年生7人でつくった。現在は高校生1人、中学生12人と、「見守り会員」の大人3人で活動している。同校は、ESD(持続可能な開発のための教育)推進拠点校として国連教育科学文化機関(ユネスコ)が認定する「ユネスコスクール」で、同国と10年以上に渡り交流している。
Bof誕生のきっかけは、パラリンピック後の21年9月にあった授業だった。シャベラさんらを招いて同国の文化などについて学んだほか、一緒にスポーツを楽しんだ。当時のシャベラさんは緑内障が進行し、失明の危機にあった。シャベラさんは帰国後、かねて交流のある同市のNPO法人「えひめグローバルネットワーク」(EGN、現四国グローバルネットワーク)の竹内よし子代表理事(62)に手術費用が足りないと相談。同校に募金への協力を呼びかけてもらうことになった。
集まった資金を基に、シャベラさんは22年3月に両目の手術を受けた。今は日常生活に支障がないほどまでに回復。シャベラさんは募金と共に贈られた眼鏡をかけ「生まれて初めて父母の顔をちゃんと見ることができた。本当にありがとう。また皆さんに会いたい」と児童らにお礼のビデオメッセージを送った。この交流を機に、当時の6年生を中心にBofを立ち上げた。
シャベラさんは7月中旬から2週間滞在し、松山市内の小学校や盲学校で児童らと交流を深めたり、県立図書館などを見学したりする予定。24年度の松山市市民活動推進補助金を受けることも決まっており、CFで集めた資金と合わせて計画に充てる。
新玉小を卒業し、23年夏に短期留学プログラムでモザンビークを訪れてシャベラさんと再会したBofメンバーの市立日浦中学3年、安永百恵さん(15)は「とても明るく、子どもたちが大好きな様子だった。ぜひ松山の小学校でも元気を伝えてほしい」と話す。通信制の未来高校松山本校1年、石井彩貴(さき)さん(15)は「シャベラさんはモザンビークの学校に図書館を作りたいという夢があると聞いた。松山の図書館でも素晴らしい学びがあるはず」と期待を込めている。
愛媛とモザンビークの絆
愛媛とモザンビークの絆は固い。1975年の独立後に17年間の内戦を経験した同国では、民間団体が無償で放置自転車を武器と交換する事業「武器を鍬(くわ)に」を行い、武器を回収している。EGNは修理後の放置自転車を送る事業を2000年に始め、約660台を送った。アルマンド・ゲブサ大統領(当時)は08年、海外元首として初めて愛媛県を公式訪問。EGNは17年に学びと雇用促進の場「KOMINKAN」(公民館)をモザンビークの村に建て、活用している。
Bofの「見守り会員」でもある竹内さんは「地域に根ざす交流が学生たちの行動力で繰り広げられることは心強い。東京オリンピック・パラリンピックのレガシーとなります」と確信している。
CF(目標額30万円)は7月13日まで、サイトで受け付けている。【松倉展人】
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