◆「だからと言って世の中は何も変わってない」
平和記念公園近くに設置された広島1区の選挙ポスター掲示板。後ろは広島平和記念資料館=広島市で
投票日の広島市は薄曇りだが暖かく、穏やかな天気だった。東京新聞「こちら特報部」は、観光客や修学旅行生でにぎわう市中心部の平和記念公園周辺を訪れた。 原爆ドーム前には、高校教諭を退職して18年ほぼ毎日、ボランティアでガイドを続ける胎内被爆者の三登浩成さん(78)がいた。被団協のノーベル平和賞受賞について尋ねると「原爆を伝える広島の人たちがもらった賞。うれしかった」と話す一方、「だからと言って世の中は何も変わってない」と冷静だった。 「どの政治家もお祝いコメントを出したけど、ただのリップサービスでしょう。本気なら、なぜ核兵器禁止条約に加盟しないのか。なぜ核共有など言うのか。アメリカ人でもここに来て私の話を分かってくれる人は多いですよ。世の中を変えるにはこうやって一人ずつ理解する人を増やすしかない」とまくしたてた。この日は衆院選に投票してから、電動自転車を30分こいでやって来た。衆院選については「政治家をこらしめる必要があるよ」。◆「最近の平和行政は後退している」
原爆ドーム前で観光客らに原爆被害について説明する大内正子さん=広島市で
広島県被団協理事で、日本の核兵器禁止条約参加を求めて署名集めをしていた被爆2世の大内正子さん(73)は「ノーベル賞をもらって少しは署名集めがしやすくなったかなとは思うけど、政治は変わってない。むしろ最近の平和行政は後退している」と指摘する。 地元選出の岸田氏が首相になった時は期待を抱いたという。しかし、日本が議長国を務めた昨年の先進7カ国首脳会議(G7広島サミット)で、岸田氏は核抑止力維持の重要性を指摘した「広島ビジョン」を取りまとめた。大内さんは「広島でそんなことを言うなんて許せないですよ。核兵器禁止に向けて結局、政治は何もしていない」と怒りをにじませた。◆「被爆者がいなくなると核廃絶を訴える人もいなくなるのでは」
原爆ドームから北へ徒歩10分の市営基町高層アパート。戦後、「原爆スラム」と呼ばれた戦災者らの住居群跡に建設された。その中にある投票所前で投票を終えた60〜90代の10人に話を聞いた。ほとんどの人が「核兵器廃絶に賛成」と答えたが、それで投票先を決めたという人は少数だった。就任直後の岸田文雄首相=2021年10月、首相官邸で
いつもは岸田氏に入れるという女性(71)は「裏金の問題があり腹が立って今回は野党にした。大分から広島に来て40年。子供の学校の授業で原爆について学び、大事なことだと思うけど、ニュースなんかを見てるとなくすのは現実的には難しいかなと思っちゃう」と話した。元会社経営の男性(75)は「日本が核兵器を保有することはないでしょうが、現実的には米国に守られている」と石破氏が主張した米国との核共有論を支持した。 一方、60代の主婦は「ニュースのたびに被爆者の高齢化が問題になり気になっている。被爆者がいなくなると核廃絶を訴える人もいなくなるのでは」と、核廃絶に向けた政治家のリーダーシップを求めた。◆地元候補者に「核禁条約」への対応を聞くと
「こちら特報部」は平和記念公園以外でも、核廃絶に取り組む団体関係者から話を聞いた。カクワカ広島共同代表の田中美穂さん=本人提供
「ノーベル平和賞をきっかけに、もしかしたら立候補者から前向きな言葉があるかもしれないと期待したんですが…」。「核政策を知りたい広島若者有権者の会」(カクワカ広島)の共同代表田中美穂さん(30)はもどかしさを浮かべた。 カクワカ広島は今月中旬、広島県内の衆院選小選挙区と比例中国ブロックの立候補者29人に、核政策に関するアンケートを実施。回答があったのは16人だった。急な選挙実施で対応が遅れた可能性もあるが、広島1区(広島市など)の岸田氏は、前回2021年衆院選時のアンケートと同様、無回答だった。 回答した16人は全員が核廃絶を目指すべきかとの問いに「はい」と答えたが、日本が核禁条約を批准すべきかとの問いには、核保有国の不参加などを理由に4人が「いいえ」とした。このうち広島4区(呉市など)の寺田稔元総務相(自民)は、前回は条約に署名・批准すべきだと回答していたが、今回は「いいえ」で後退した。◆「核廃絶に向けたロードマップを具体的に示して」
選挙期間中、田中さんは何人かの県内立候補者の演説を聞いたが、核政策を巡る訴えは目立たなかった。核廃絶に消極的な姿勢の自民党の候補者のみならず、野党候補たちにも落胆した。「核禁条約への批准や締約国会議へのオブザーバー参加には賛成と口にしながら、具体的アクションがまったく見えない」原爆ドーム前でボランティアガイドをしていた三登浩成さん(左)と大内正子さん
昨年の広島サミットで来日した複数の他国議員が帰国後、自ら聞いた被爆者の証言を交流サイト(SNS)で発信したり、議会で自国政府に条約参加を強く求めたりする姿と比べ、温度差を感じずにはいられなかったという。 来年、被爆80年の節目を迎える。政府、政治家には「被爆者たちの声をただ表面的に受け止めて消費するだけではいけない。核禁条約に積極的に関与し、核廃絶に向けたロードマップを具体的に示してほしい」と求める。◆「核の傘の下から動けずにいる政治にがっかり」
「核兵器廃絶をめざすヒロシマの会」の共同代表、森滝春子さん(85)は「今回のノーベル平和賞は日本を含む世界の政治家、核戦争の危機をもたらしているロシアやイスラエルへの強い警告だ。このメッセージが日本の政治家にきちんと受け止められているのか」と疑問を投げかける。街頭演説で、有権者に支持を訴える自民党総裁の石破首相=26日、東京都江東区で(坂本亜由理撮影)
「核なき世界」の実現を掲げた岸田氏が、核抑止論を肯定する「広島ビジョン」をまとめたことについて「ダブルスタンダードで、核抑止をむしろ強化させた」と批判する。 核による被害は広島と長崎での被爆のみならず、ウラン採掘や開発の過程でも生じ続けていると強調。「被爆国として核兵器の威力を知りながら容認することは非常に罪深い。二度と無差別の大量虐殺が繰り返されてはならず、政治家は今の危機的状況、国民の生命と財産を守る責任を自覚してほしい」と訴える。 広島で胎内被爆した被団協事務局次長の浜住治郎さん(78)=東京都稲城市=は「常に日米同盟、核の傘の下から動けずにいる政治にがっかりしてきた」と明かす。 被爆から79年たってもなお、被害実態の解明や、既に亡くなった人や2世を含むすべての被害者への補償が十分になされておらず、政府に今こそ責任と向き合ってほしいと願う。「一発の核が何をもたらしたのか、そして唯一の被爆国として何をすべきか。政治家たちはその原点に立ち返り、核廃絶の先頭に立たなければいけない」◆デスクメモ
27日、在日ミャンマー大使館前で、母国が内戦状態のミャンマー人たちが民主主義の回復を求めてデモをした。26日にはイスラエルがイランを攻撃した。戦争がなく、選挙ができる社会は当たり前ではない。政治家も有権者も今ある平和の価値をかみしめ、核なき世界を目指すべきだ。(北)
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