10月23日で新潟県中越地震から20年を迎えました。『中越地震から生まれた防災教育』についてお伝えします。
中越地震から20年がたち、経験していない世代が増える中で、記憶や教訓を伝える取り組みが行われています。

この日、中越地震について学ぶため長岡市の小学生およそ60人が旧山古志村を訪れました。まず向かったのは『やまこし復興交流館 おらたる』です。

当時の被害の様子から復興までの道のりが被災者の証言付きのパネルで展示されています。

中越地震の被災地では『おらたる』のような4つの施設と3つの公園を地震の記憶を伝える拠点=『中越メモリアル回廊』として整備し防災教育に役立てています。

【山古志住民ガイド 長島世津子さん】「私の子どもが小学校2年生と皆さんと一緒の4年生でした。4年生の子はあまりの怖さに声が出なくて固まっていました」

地震当時、山古志支所に勤めていた長島世津子さんです。

山古志村で発生した震災ダムによる被害について子どもたちに説明しました。土砂崩れによって川がせき止められたことでできた震災ダム。24世帯が暮らしていた木籠集落では14世帯の建物が水没しました。

【山古志住民ガイド 長島世津子さん】「水でどんどん塞がれてしまい、こんな風に泥んこの水たまり。屋根の上まで届きました」

長島さんの話を聞いた子どもたちはその木籠集落を見に行きました。
【児童たちは】「うわーほぼ(家が)埋まっている」

木籠集落も『中越メモリアル回廊』の一つです。水没した建物2棟を保存し、当時の様子を今に伝えています。
子どもたちは最後にメモリアル回廊の中核施設「きおくみらい」を訪れパネルやシアターなどを通して地震の記憶を学びました。こうした防災教育を担当しているのが中越防災安全推進機構です。

【中越防災安全推進機構 赤塚雅之さん】「過去に起こった災害の教訓をどう生かしていくのかというのが、我々がぜひ次の世代の子どもたちに伝えたいことで大事にしていること」

赤塚雅之さんは学校に合わせたプログラムを作成し、年間300件以上の防災教育を担当したりフォーラムでの講演などを行っています。

【中越防災安全推進機構 赤塚雅之さん】「中越地震が起こったことで、長岡の人たちはいろいろなことに気が付きました。もっと言うといろいろな失敗をしてしまったのでこうしておけばよかった、ああしておけばよかっということが実はたくさん浮かび上がってきたんですね」

赤塚さんが子どもたちに伝えたのは中越地震で気付かされた「備え」の重要性です。

発泡スチロールベッドや非常食など県内企業は中越地震を教訓に様々な防災グッズを開発しています。

【児童は】「工夫されているものがあったので、進歩しているんだなと思いました」

中越地震の発生から20年。地震を知らない世代が増える中、当時の記憶と教訓を伝えるこうした防災教育はますます重要性が増しています。
Q「中越地震どんな地震だと思いましたか?」
【児童たちは】「怖い地震」「余震が多い地震」

[道路が崩れたり、土砂崩れが起きたりしていたことが一番印象に残った」

【中越防災安全推進機構 赤塚雅之さん】「長岡の子供たちが中越地震という出来事を通して、自分たちの身に置き換えて次の災害に生かしてもらうこと、教訓を生かしてもらうことが私たちの願いであり、テーマであると思います」

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