石川県輪島市にある国の重要文化財「上時国家(かみときくにけ)住宅」は、1月の能登半島地震で主屋が倒壊し、復旧に向けた調査がすすめられていましたが、9月の奥能登豪雨でも被害を受けました。貴重な古文書や調度品が下敷きになっているところに泥水が流れ込みました。その被害は、まだ把握できない状態です。
※上時国家は、壇ノ浦の戦いの後、捕らえられ能登へ流された平家第一の実力者・平時忠の子である「時国」を祖とする。源氏の追及を逃れるため、姓を「時国(ときくに)」と改め、珠洲市と隣り合う現在の輪島市町野町へ居を移した。その後分家し、上時国家(輪島市町野町南時国)、下時国家(輪島市町野町西時国)に分かれて今に至る。
上時国家住宅がある輪島市町野町は、9月に能登を襲った豪雨災害で、多くの住宅が浸水や大規模な土砂崩れに巻き込まれるなど未曾有の被害を受けた地域です。
9月の豪雨では、住宅の裏手にある山が大きく崩れ、大きな岩や土砂、流木が、流れ込みました。
平時忠の直系子孫で、上時国家二十五代当主・時国健太郎さんが、被害写真を基にまとめた地図を見てみると、主屋は、崩れた土砂や水の直撃を受けませんでしたが、泥水がその周辺を覆ったことがわかります。
地震の被害調査が進み、本格的な復旧への準備を心待ちにしていた中での豪雨被害に、時国さんは、やるせない思いです。
地震で倒壊の主屋、1階部分には古文書や調度品に泥水
国の名勝に指定されている庭園には泥水に覆われてしまい、管理用に使っていた住宅には流されてきた土砂や流木が直撃し1階部分が完全に埋まりました。
地震で倒壊した主屋の1階部分には、古文書や調度品が多く残されていますが、今回の豪雨でその多くは、浸水の被害を受けているとみられます。
上時国家二十五代当主・時国健太郎さん
「復旧するのにあたって、今度は泥を落として、清掃をして、庭は倒れた木を戻さないと復元できないということになる。」
復旧費用は“億単位”、「個人では到底賄えない」
豪雨前でも、復旧には15年以上、様々なものを含めると全体で10億単位の費用が掛かるとみられていましたが、今回豪雨災害が重なったことで、復旧作業はさらなる長期化、算出される費用も、さらに膨らむことが想定されます。
国の文化財復旧支援制度では、復旧費用の85%は、国が負担。残りを県と市で4分の1ずつ(7.5%)、残りの2分の1(7.5%)を所有者で負担することになっています。
今回は、復興基金からも助成があるということですが、今後正式に算出される巨額費用の7.5%の負担に女性があったとしても、文化財の管理をしつつ、ごく普通のサラリーマンとして生活してきた時国さんには、到底賄いきれないものです。
時国さんは、現在73才、復旧に時間がかかることわかっていても、さらなる長期化が避けられない状態は精神的に非常に辛いと言います。
上時国家二十五代当主 時国健太郎さん
「この文化財の復旧っていうのは、時間をかけてやってもいいというような前提で話が進んでますんで非常につらいところがあります。私自身も毎年、年を重ねていくわけですから復元した様子を見ることはできないんじゃないかなと思うぐらいの時間がかかる話ですので、その辺は非常に心配しているところです。」
平家第一の実力者「平時忠」の子孫として、能登で積み重ねてきた、800年余りの歴史と文化を次の世代へ残していきたいという時国さんの気持ちは変わりませんが、地震から10か月近く、豪雨から1か月たっても、復旧のめども見えない現実は、余りにも厳しすぎる状況です。
※上時国家住宅(輪島市町野町南時国)
江戸末期に建てられたものとされ、かやぶき屋根、入母屋造り。高さは、18メートル(高さ5階建てのビル相当)。国の重要文化財登録の際には「近世木造民家の1つの到達点を示す」と評される。巨大で、内部は手の込んだ造りが特徴。上時国家は、江戸時代には、天領(幕府直轄地)の大庄屋を務め苗字帯刀を許され、農業のほか製塩、そして船5そうを所有し、海運も手掛けた。住宅には多くの古文書や調度品などがあり、その多くが地震や豪雨で被害を受けたとみられるが、建物の被害が大きく、全容は今もわからない。
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