2024年10月1日午前6時、東海道新幹線の開業60周年の記念式典が行われました。式典会場となった19番ホームは、60年前、1番列車が出発したホームです。今までに運んだ乗客は約70億人。過去にはこんな驚きの車両もありました。(アーカイブマネジメント部 萩原喬子)
夢の超特急…始まりは1964年
東海道新幹線が開業したのは1964年(昭和39年)。
王貞治選手(当時)が1シーズン55号のホームランを打ち、街にはアイビールックの若者たちがあふれました。そして何と言っても「東京オリンピック」。
首都高速や数々の競技場、開催に向けての建設ラッシュの中、オリンピックに向けての最大の目玉こそが“世界初の高速鉄道”この東海道新幹線だったのです。
東京-新大阪間を約4時間で結んだ夢の超特急に、大人も子どもも夢中になりました。
新大阪発の一番列車の運転士が体感した時速200キロ超えの世界
当時、国鉄の特急の最高速度は時速110キロ。時速200キロを超えるのはまさに未知の世界でした。
新大阪発の一番列車の運転士は夢の超特急の印象について「トンネルに入ると耳がキーンとなり、時速200キロを超えると『ゴー』とすごい音に。こりゃえらい電車に乗っちゃったなという感じだった」と当時を振り返ります。
時速200キロ超達成!一方こんなハプニングも…
時速160キロで走り出した新幹線は滋賀県大津市付近で初めて時速210キロを達成。乗客からは歓声が上がったと言います。その後も順調に、品川辺りまで少し早めに順調に走っていた一番列車。しかし司令から「定時に到着してください」と言われ、スピードを落とすことになりました。すると新幹線が京浜東北線や山手線に抜かされてしまう事態に…。
ただ、ゆっくり走ったからこそ見えた感動的な景色もありました。
新橋辺りのビルの窓からは、見物のみんなが手を振って歓迎してくれていたのです。
乗客の胃袋を支えた 大人気だった“走るレストラン”
この頃、食堂車が連結されている快速電車などありましたが、東海道新幹線で最初に導入されたのはビュッフェ車でした。軽食を提供するこのビュッフェ車に速度計があり、一番列車の時は時速200キロを目にしようと乗客が殺到したそうです。
さらに1974年には“走るレストラン”と言われた食堂車の連結が開始。人気メニューはハンバーグ定食1000円、カレーライスが500円に、ビールは340円でした。当時の物価から見るとかなりの高級レストランです。それでも富士山を見ながら食事ができるというのは格別の体験で、昭和の客はここにも熱狂したのです。(惜しまれつつも2000年に終了)
驚きの車両も数々登場!!
東海道新幹線は乗客を乗せて目的地に行くだけではなく、こんな驚きの車両活用もしてきました。
1988年にはJR東海が民営化1周年を記念して「ディスコ列車」を走らせました。
さらに2022年12月からは新幹線車両を号車単位で貸し切り、車内でオリジナルイベント等を実施できる「貸切車両パッケージ」のサービスが始まりました。2023年には新幹線プロレスまで開催されたのです。
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