2024年のノーベル平和賞に日本被団協(ひほん ひだんきょう)が決まったことを受けて熊本県内の被爆者たちが会見し、受賞の喜びと、次の世代に平和をつなぐ重要性を訴えました。

7歳のとき長崎で被爆 工藤武子さん「地道な活動を多くの人が見守って応援してくれたことに改めて感謝した。励みになると同時にとても責任を感じた」

工藤武子さん

日本被団協(日本原水爆被害者団体協議会)は、核兵器廃絶などを訴えるため、1956年に結成された被爆者などでつくる全国組織で、熊本県内には被爆2世などを含め、約650人の会員がいます。

ノーベル賞委員会は、これまでの被爆者の活動を評価し、今年の平和賞の授与を決め、受賞式は12月10日にノルウェーのオスロで開かれます。

きょう(10月23日)熊本市内で開いた熊本県被団協の会見には被爆者も参加しましたが、被爆から79年が経過して、熊本県内で被爆者手帳を持つ人は今年3月時点で592人で、2349人いた28年前の1996年と比べて約4分の1に減り、平均年齢も85.58歳になりました。

被爆して生き残っても、当時のことを話したくなかったり、幼少期だったため当時の記憶がない人も多く、現在、県内で証言できる人は6人に減っています。

そんな中でも、被爆の記憶と核兵器廃絶への思いをつなぐため、受賞が決まった今、中高生や大学生など若い世代と接する機会を増やしたいと話します。

工藤さん「原爆で亡くなった人たちを思うと、生き残った私は何もしないのは申し訳ないと思わずにはいられない。核をなくすために何かしなくちゃと思うんです」

15歳のとき長崎で被爆 浦田藤枝さん「他のことは忘れても(被爆した)その日のことだけは忘れない絶対にそういうことにみなさんを遭わせたくない

浦田藤枝さん

熊本県被団協 武田頼宏会長「ノーベル賞をもらったからといって核兵器が1発でも減ったわけではない」

受賞の喜びだけでなく、危機感を訴える声が上がるのは、ウクライナ侵攻を続けるロシアやパレスチナで紛争を行うイスラエルなどが核兵器を使う危機がかつてなく高まっている現状があります。

核兵器は熱線や爆風で多くの人を殺すだけでなく、何十年経ってもがんや白血病など放射線が原因となる病気で苦しめます。

さらに同じ日本の中でも被爆を理由として、付き合っている人の親から結婚を反対されたり、就職活動で採用が決まっても、被爆者だとわかったことで会社から採用を取り消されるなどの差別も受けました。

こうした中で、あえて被爆者が証言するのは、世界情勢が緊迫化して高齢化が進む中、「戦争が起これば日本も含めて新たな被爆者が出かねない」と危機感を強めているためで、こうした状況だからこそ、次を担う世代と言葉を交わしたいと願っています。

熊本県被団協では、証言を直接聞ける機会として、被爆者の派遣も行っていて、「自分や大切な家族が被爆したらどうなるのかと考える機会にしてほしい」と呼びかけています。

熊本県被団協の連絡先は(096・356・4776)で、電話は祝日を除く月・水・金の午前10時半から午後5時に受け付けています。

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