68人が犠牲となり、およそ4800人が重軽傷を負った中越地震。
2004年の発生から20年の節目の日となった10月23日、被災地は鎮魂の祈りに包まれました。
小千谷市の塩谷集落では、東山小学校の児童16人が慰霊碑の前で先輩に語り掛けました。
「僕たちは今、東山小学校のみんなで助け合って元気に過ごしています。これからも東山小学校、東山地域を見守っていてください」
2004年10月23日 午後5時56分、中越地方を震源とするマグニチュード6.8の大地震が発生しました。
旧川口町で震度7、小千谷市と長岡市で震度6強を観測。
68人が犠牲となり、4795人が重軽傷を負い、12万棟を超える住宅が被害を受けました。
小千谷市の塩谷集落では、自宅の下敷きになるなどして3人の小学生が亡くなっています。
東山小学校の子どもたちは、亡くなった3人の先輩に誓いました。
「亡くなった人がどういう気持ちだったのかなとか…。本当に悔しかった、悲しかった、悔しかっただろうけれども、僕たちも一生懸命、伝えていくために頑張っていますよとか、そういう感じのことを祈りました」
「もっと中越地震のことを、いろんなことを学んで、それを将来子どもができた時とかも、どのくらい被害がひどかったのかなとか伝えて、もっと広げていきたいなと思いました」
「今、助けられました。子供です」
地震によって、親子3人が乗った車が巻き込まれた長岡市妙見町の土砂崩れ現場。
母親と女の子は亡くなりましたが、2歳だった男の子が92時間ぶりに助け出された『奇跡の救出現場』です。
いまはメモリアルパークとして整備され、献花台も設けられています。
【80代】
「土砂崩れがある5分前にここを通ったんですよ、それでここにいつもお参りに来るんです。もしかすると、私も巻き込まれたかも分からなかったものですから…」
【60代】
「今が平和だったりすると忘れがちになるんですけど、こうやってその日が来た時に新たに思い出して、この何事もない生活のありがたさをやっぱり思ってしまう」
アオーレ長岡でも、深沢小学校の子どもたちが防災授業で学んだことを発表していました。
地震から20年がたち、記憶と教訓の継承がますます重要になっています。
鄭重声明:本文の著作権は原作者に帰属します。記事の転載は情報の伝達のみを目的としており、投資の助言を構成するものではありません。もし侵害行為があれば、すぐにご連絡ください。修正または削除いたします。ありがとうございます。