中越地震から20年。震源地となり最大震度7を観測した当時の川口町は、甚大な被害に見舞われました。
町で唯一のスーパーも全壊しましたが、すぐに仮店舗での営業を始め、今に至るまで地域住民の暮らしを支え続けてきました。地震後、人口減少に伴い、店の存続が危ぶまれる中、27歳の男性が地元へUターンし奔走しています。
入口で目を引く“ありがとう”の黄色いフラッグ。
長岡市川口地域で唯一となる老舗スーパー『安田屋(あんたや)』です。
「昔を思い出す。『あのとき、ああだったな』とか、『助けてもらったな』とか…」
フラッグの手入れをするのは、安田屋の専務・山森瑞江さん(60)。そばで手伝うのは、長男の健也さん(27)です。
フラッグにしたためられた『20年前のあの日』…
それは安田屋にとって、忘れられない記憶です。
中越地震の震源地となった旧川口町。
震度7を観測し、全住宅の8割近くにあたる、およそ1100棟が全半壊の被害を受けて町並みは一変。安田屋も全壊しました。
その安田屋で2022年に働き始めたのが、健也さんです。地震当時は7歳でした。
山森健也さん(27)
「やっぱりお客さんから直接『ないと困る』という声もいただくので、本当にうちがなければ、買い物に行けない“お年寄り世代”がどうしても多い地区なので…」
新潟県内の高校を卒業した後、東京の大学に進学し、都内のIT系企業に就職した健也さん。ふるさとに戻ると決めたのは、離れて暮らす母との電話がきっかけでした。
「就職して1年経ってウイルス禍になって、そのときに(安田屋の)『経営状況がよくない』というのを聞いて、今までそういう母の弱音を聞いたことがなかったので…」
決断に迷いはありませんでした。
Uターンして店に入り、現在は魚や肉、惣菜のコーナーを担当しています。
お客との距離が近い店だからこそ、直接声を聞きながら、日々試行錯誤。
健也さんの仕入れのこだわりは、『ここでしか買えない、ちょっと珍しいモノ』です。
「“イチゴ牛乳アイス”は、僕が関東にいたときに食べていて、ここらへんでは置いていないので。“特別感のあるもの”を入れるようにしています」
10月11日。健也さんは母校の川口小学校を訪れました。
中越地震について学ぶ特別授業で、初めて講師として招かれたのです。
山森健也さん
「部屋のほうもぐちゃぐちゃで、窓のガラスが割れたり、棚が倒れたり、そういう状態でした。ここは、おうちの下の車を入れる車庫なんですけど、そこにブルーシートを張って、ここで生活をしていました」
当時の様子を伝えた健也さん。話を聞いた子どもたちからは…
児童
「安田屋の2階で地震が起きたときに、ガラスが床に落ちて、そのとき裸足だったんですか?」
山森健也さん
「そのときは裸足で、もちろんガラスが散らばっているので、ずっと動けなかったのね。地震が収まるまで待っていたら、下からお母さんが来て、靴を投げてくれたの。その靴を履いて、おうちの外に逃げました」
2年生のときに被災した健也さん。
20年前の自分と同じ年頃の子どもたちに向き合い、当時の経験を伝えました。
6年生の児童
「(中越地震のときは)みんなで協力して助け合って過ごしていたと思います。部屋に靴を置いておいたり、食べ物を保存しておいたりしたいです」
鄭重声明:本文の著作権は原作者に帰属します。記事の転載は情報の伝達のみを目的としており、投資の助言を構成するものではありません。もし侵害行為があれば、すぐにご連絡ください。修正または削除いたします。ありがとうございます。