ノーベル平和賞の受賞が決まった日本原水爆被害者団体協議会。代表委員の箕牧智之さんは頬をつねり「夢の夢。うそみたいだ」と語りました。広島や長崎で被爆した人たちが長年にわたり訴えてきた「核兵器の廃絶」。その活動は「核兵器使用のタブーの確立に大きく貢献した」と評価されました。
ノーベル平和賞発表の直前。この時はまだ、誰も予期していませんでした。
ノルウェー・ノーベル賞委員会
「今年のノーベル平和賞は、日本のニホンヒダンキョウ」
「ん!?」
「え?」
日本被団協・箕牧智之代表委員(82)
「おおー、日本被団協?うわー!電話せないけんわ日本被団協に、これは電話せないけん。おそらく会議でみんなおらんで。夢の夢。ほっぺたつねって、本当か、うそか」
今年のノーベル平和賞に選ばれたのは、日本被団協=日本原水爆被害者団体協議会です。被爆者らでつくる団体で、原爆や核兵器の恐ろしさを世界に伝えてきました。
広島に原爆が投下されたとき、3歳だった代表委員の箕牧さん。投下の翌日、父親を捜すため、焼け野原となった広島市内に入った際に被爆しました。
日本被団協 箕牧智之 代表委員
「核兵器は絶対になくしてほしい。訴えても訴えてもなかなか世界に届かない、歯がゆい思いの毎日でした。ノーベル平和賞となると世界中の人が注目して、核兵器はなくすべきという考えに政治家はなっていただきたい」
同席していたのは、高校生平和大使の3人です。
高校生平和大使
「発表を聞いた瞬間、鳥肌が立ちましたし、人の思いが持つ力の強さ、そしてそれがつながっていくことの強さを肌で心ですごく感じた瞬間だったな」
2つめの原爆が投下された長崎からは…。
日本被団協 田中重光 代表委員
「私たち被爆をしてから偏見・差別、口には出し切れない苦労を先輩たちはされて運動を続けられてきた。残念ながら鬼籍に入られた人たちも本当に感謝をしていきたいし、お墓に行って報告しなければならない」
東京でも…。
「号外です」
中学校教師 40代
「まだまだ核を持ってる国って、たくさんあると思うけど、こういうのをきっかけに核をなくしていこうという流れに世界がなっていったらいい」
日本被団協を選んだノルウェー・ノーベル賞委員会は、新たに核兵器の保有を進める国がある、などとした上で…。
ノルウェー・ノーベル賞委員会
「“ヒバクシャ”のメッセージ・物語・証言は、核兵器の使用がいかに容認できないものか思い起こさせる。すべての指導者に被爆者の痛ましく劇的な体験談に耳を傾けてもらいたい。核兵器は二度と使ってはならないものだとわかるだろう」
日本被団協は1956年に結成された広島や長崎の被爆者らでつくる全国組織です。半世紀以上にわたって核なき世界を目指し、世界中で活動を続けてきました。
東西冷戦さなかの1982年。
長崎の被爆者 山口仙二さん[国連での演説 1982年]
「ノーモア・ヒロシマ、ノーモア・ナガサキ、ノーモア・ウォー、ノーモア・ヒバクシャ」
国連で長崎の被爆者が核廃絶を訴え。2016年、当時のオバマ大統領が広島を訪問した際には…。
日本被団協 坪井 直 代表委員(当時)2016年
「今後は未来志向。あれがやったから、これがやったからと後ろ向いたらいかん」
オバマ大統領と握手を交わし、「核なき世界を一緒に頑張りましょう」と声をかけたそうです。
熱線を浴びた背中を治療する映像が、原爆の悲惨さを伝える象徴となってきた長崎の被爆者の谷口稜曄さんは亡くなる直前まで「核廃絶」を訴え続けました。
長崎の被爆者 谷口稜曄さん(2017年)
「次から次に核兵器が必要だと言って(核兵器を)持つ国が増えてきてますから、絶対減らす努力をしなければならない。我が子のためにも私たち生き残った被爆者が頑張らなければならない」
しかし、その思いとは別の方向へ世界、そして日本は進んでいきます。2017年に120あまりの国の賛成で「核兵器禁止条約」が採択されましたが、その場にアメリカなど全ての核保有国、世界で唯一の被爆国「日本」の姿はありませんでした。2021年に条約は発効されましたが、現在も日本は参加していません。
日本被団協 田中熙巳 代表委員(2017年)
「唯一の戦争被爆国と言っている国が早くこの条約に参加していくことを求めていくんだと思います」
そして世界は再び核の脅威に立たされています。2022年、ロシアがウクライナへの軍事侵攻を開始。核保有国のロシア・プーチン大統領は「核兵器」の使用を示唆するような発言をしています。
日本被団協 箕牧智之氏(2022年)
「そういう言葉を簡単に大国の大統領が口にしていいものか。本当に核兵器が使われる日が来ないとも限らない。それだけは止めてほしい。大きな声で訴えたい」
中東では去年10月、イスラム組織ハマスがイスラエルに奇襲攻撃をしたことをきっかけに、中東各地に戦火が広がっています。イスラエルによるイランの核施設への攻撃の可能性が報じられている中、11月のアメリカ大統領選挙に出馬するこの人は…。
アメリカ トランプ前大統領
「核兵器こそ攻撃したい対象ですよね?(バイデン大統領は)『まず核を攻撃しろ、残りのことは後で考えろ』と答えるべきだった」
毎年のように「日本被団協」はノーベル平和賞候補に名前が挙がってきました。幾度となく受賞を逃してきましたが、それでも…。
日本被団協 箕牧智之氏(2021年)
「私たちが生きている間に核兵器廃絶とノーベル平和賞(受賞)はないとみている。それでも訴えていかないといけない」
訴え続けた核兵器廃絶への思いが評価された今回の受賞決定。
被爆地・広島や長崎の市民からは…。
長崎市民 20代
「小学校のころから被爆のことを学んできたので、被爆者の言葉も『被爆はしてほしくない』『長崎が最後でいてほしい』とあったので、その願いの一歩に近付けたんじゃないかな」
広島市民 80代
「(被爆者の思いが)なかなか汲み上げてもらえなかったから、そういう意味ではね、一歩進んだかなっていう感じですよね。今、戦争多いじゃないですか、そういうところもみんなで一緒になってね、平和が訪れた方がいいですよね」
受賞決定を祝う声も続々と届いています。
2017年に平和賞を受賞した国際NGO『ICAN』=「核兵器廃絶国際キャンペーン」は…。
「核兵器廃絶国際キャンペーン」 ダニエル・ホグスタ副事務局長
「本当に感動して胸が熱くなる気持ちです。核兵器の脅威がおそらくこれまでで最も高い、非常に重要なタイミングでの受賞です」
原爆が投下された広島で生き抜いた少年を描いた漫画「はだしのゲン」。その作者、中沢啓治さんの妻・ミサヨさんは…。
中沢啓治さんの妻 ミサヨさん
「主人はもう本当に若い時から絶対核兵器は廃絶しかない、こんな恐ろしいもの二度と作っちゃいけないという思いはありましたからね。それをずっと被団協の人は何十年やっていらっしゃるでしょう。世界に訴えてる。もう私からもう嬉しくて」
受賞決定を受け、取材に応じた日本被団協の田中熙巳さん(92)。日本被団協によると、外遊先から帰国中の石破総理が飛行機の中から田中さんに祝福の電話かけると連絡があったそうですが…。
日本被団協 田中熙巳 代表委員
「(充電が)切れちゃったよ…電池が…たぶん、さっきまで切れかかってたんだよね」
これに先駆け、石破総理はラオスで行った会見で…。
石破総理
「長年、核兵器の廃絶に向けて取り組んでこられました同団体にノーベル平和賞が授与されることは、極めて意義深いことであったと」
また、広島・長崎に原爆を投下した国、アメリカのエマニュエル駐日大使は自身のSNSで…。
エマニュエル駐日大使 SNSより
「これまで出会った被爆者の方々の核兵器のない世界を築くために尽力する素晴らしい姿に計り知れない感銘を受けた」
その上で、「核兵器は二度と使用されてはならない」とコメントしています。
授賞式は12月10日、ノルウェー・オスロで行われます。
日本被団協のノーベル平和賞受賞が決まったことを広島と長崎はどう受け止めているのでしょうか。まずは広島からです。森元さん、伝えてください。
広島市で発表を聞いた日本被団協の箕牧代表委員の涙ぐむ姿が印象的でした。箕牧さん自身も受賞するとは思っていなかったというのが正直なところでした。
日本被団協の原点は核と人類は共存できないという訴えでした。憎しみを乗り越えて、こんな思いを誰にもさせてはならないという気持ちのもと、運動を続けてきました。日本被団協の代表委員を務め、3年前に亡くなった故・坪井直さんの口癖は「ネバーギブアップ」でした。まさに命をかけて世界中に出向き、原爆の恐ろしさと核兵器廃絶を訴え続けてきました。
ただ、被爆者の高齢化が進み、平均年齢は85歳を超えています。被爆者の数は減り、広島県内でも各地の被爆者団体が解散するという状況があります。
被爆体験を受け継ぎ、核兵器廃絶の訴えをいかに引き継ぐかが課題となる中、今回の受賞が改めて私たち、次の世代やもっと若い世代に被爆者が訴えてきたことを引き継ぐきっかけにする。核兵器廃絶を諦めないという思いを新たにする機会にしなければならないと感じました。
では続いて長崎から早田さん、伝えてください。
日本被団協の構成団体の一つ、長崎被災協では長年、反核、平和運動、被爆者援護、それから被爆体験講話などに取り組んできました。受賞後の会見で田中重光会長からは「これから核兵器をなくしていこうとする運動の大きな力になるのではないか。被爆者はこれまで苦しみ、偏見、差別など、苦しみながら活動を続けてきた。亡くなった先輩方にも報告をしたい」というふうに涙ながらにおっしゃっていました。
また、核兵器廃絶を求める署名活動を続けている長崎の高校生たちからは被爆者の願いを伝えたいという思いで活動を続けているので、それが報われて自分たちのことのように嬉しいというふうに話していました。活動の励みにもなるというふうに話していました。
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