今月、震度7を観測した石川県を取材しました。発生から5か月を前に仮設住宅の建設が進む一方、壊れたまま手つかずのままの道路や建物が至る所に残されています。地震で大規模な火災が起きた「輪島朝市」や津波で自宅が壊れ仮設住宅で暮らす人たちを取材しました。

1月1日午後4時10分、能登地方を震源とするマグニチュード7.6の地震が発生。最大震度7を石川県の輪島市と志賀町で観測。住宅の被害は石川、富山、新潟の3県で12万戸を超え、これまでに260人が亡くなり、3人が行方不明です。

輪島朝市付近では地震発生直後に火災が発生。防火水槽や消火栓は断水で使えなかったため消火活動は進まず、およそ300戸が焼失し、焼け跡から10人が遺体で見つかりました。

(記者)「観光客でにぎわった輪島朝市。火災で多くの店が失われ、今も焦げたにおいがあたりに漂っている」

現場には花がたむけられていて、この日も手を合わせる人の姿がありました。

(輪島市で被災)「火事の様子を見て、たくさんの方が亡くなられて涙が止まらない。これだけ経っても変わらない状況はどうなのか」

祖母が朝市に、店を出していたという男性です。妻と息子2人を連れて地震後、はじめて訪れました。

(妻)「お茶を前を通ったら出してくれる店があった。こっちのビルやったかこっちか。今みんなでどこやったんやろなと」

輪島朝市は日本三大朝市の一つです。平安時代から続く市場には200以上の店が軒を連ねていました。海の幸や輪島塗などの民芸品も並び、多くの観光客でにぎわっていました。

(福岡直子さん)「もうここまでになっちゃうと、誰の家がどこだったのか思い出せない」

福岡直子さん(56)です。20年ほど前から母親と、自宅兼店舗で輪島塗や雑貨などを売っていました。

地震のあった元日は店は休みで、家でくつろいでいるときに突然の揺れに襲われました。

(福岡直子さん)「なんだろうという感じ。夢見ている感じ。悪い夢を」

火災で5階建ての店舗兼住宅は全焼。いつかまた店を再開したいと思っていますが、朝市は、5か月たった今もあの日のままです。

(福岡直子さん)「まだ現実を受け入れられていなくて、家のことも考えられない」「もうちょっと早くてもいいんじゃないか、復興、せめて撤去だけでも」

避難所や知人宅で避難生活を続けたあと、3月から仮設住宅に入りました。

石川県ではこれまでに4000戸を超える仮設住宅が整備されましたが、公民館などの避難所でまだ3300人あまりが暮らしています。

3日前に仮設住宅に移り住んだ夫婦です。輪島市の自宅が全壊し、金沢市の娘の家に身を寄せていましたがふるさとに戻ってきました。

(嵐恵美子さん)「いたれりつくせり、布団をもらえて、電化製品も全部もらえて、全部生活できるだけある」

ただ、仮設住宅の入居期限は2年と決まっていて、その先は見通せていません。

(恵美子さん)「旦那も90近いし私も80才、とにかく2年間ここにいれるというから(その後は)市営住宅にでもいれてもらおうかな。家を建てても後の維持をしてくれる人もいないし、子どもにも投げられないし」

今月20日、輪島市の仮設住宅で1人暮らしの70代の女性が亡くなっているのが見つかりました。孤独死とみられていて、仮設住宅では今コミュニティづくりが課題となり、取り組みも行われています。

(ボランティア)「同じ地域の人が入っているがどこに誰がいるか分からない、みんなでコミュニティづくりをしている」

(記者)「輪島市門前町鹿磯漁港。地盤が隆起して海水面が下がり底が見えていて船が倒れている」

地震では海岸が最大4メートル隆起し、水位が下がったことで漁船が出せなくなりました。

(漁業者)「跡がついている。白と黒の。あそこまで水面だった。」「輪島の市場も全滅。氷もない、何もできない。誰も海に行かない」

能登半島地震では東日本大震災以来となる大津波警報が発表されました。

(寺山京子さん)「完全に津波が来ると思った、あの地震の動きというか音」

珠洲市で出会った寺山京子さん(73)です。大津波警報のサイレンが鳴り響く中、港のそばの自宅から正月で帰省していた息子と夫と、3人で避難を始めました。

(京子さん)
「車で出たが橋と地面がこれだけ差がついていて」

Q.道路が通れない状況?
「全然通れません」

珠洲市の避難計画では、津波の際の避難は原則、徒歩となっていましたが寺山さんはとっさの判断で車で避難しました。

しかし、道路は壊れた上潰れた家が道をふさいでいたため、車を乗り捨て、歩いて避難先の学校を目指しました。

(夫・広悦さん)「あっちこっちで『助けてくれ』と言っていて、手伝いをしながら避難所まで行った。自分も逃げたいけど『助けてくれ』と言っているのに放っておいて行くわけにはいかなかった」

能登半島地震では最大5.8メートルの津波が沿岸を襲い2人が亡くなりました。寺山さんの自宅周辺には地震から数分後に最大2.7メートルの津波が到達。倒壊した建物の下敷きになり逃げられず、津波で亡くなった人もいました。

(京子さん)「とにかく逃げること。大事なものは常に固めておいてすぐに逃げる」

能登半島地震から5か月。地震や津波が起こったとき自分や大切な人の命を守るためにどう行動するのか、鹿児島に住む私たちも考えておくことが大切です。

(キャスター)「仮設住宅ができてハード面の復旧復興が進みつつあるが、同時に新しい環境に移る住民の方の心のケアも必要になってきますね」

(記者)「先が見通せない中取材を受けてくださった人たちは『全国で災害が相次いでいるが、自分たちが被災するとは思っていなかった。地震や津波が起こったらこのような状況になることを鹿児島の人にも知ってほしい』と話していました」

災害が発生して日常が失われる怖さを実感し、自分のこととして備えなければならないと改めて感じています。

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